恋するエゴイスト
「俺、川の下の子だからさ。意外にそういうのも詳しいよ?」
突然そんなことを言い出す近侍に驚いて、返答までには間が空いた。「……何の話をしているの、清光」
「さて、ね。主はどう思う?」
にんまりと口角を上げて、清光は首を傾げて見せた。女のように扇情的なその仕草に、束の間怯みそうになる。一体どこでそんな技を覚えてきたのか、そう思ったとき、ふと先ほど彼の言ったことを思い出した。そういうのも詳しいよ。
「なぁに考えてるの、主」
顔、赤い。笑いを忍ばせた声に、かっと頬が熱くなった。たじろいだ隙を見逃すことなく、清光が間合いを詰めてくる。彼の太刀筋と同じ、無駄のない動きに、およそ運動経験のないわたしが敵うはずもなかった。バランスを崩して手をついたところに、覆い被さるように身を寄せられ、いつの間にか動きは封じられている。声すらあげられず、ただ目を見開くばかりのわたしを見下ろして、深紅の瞳が光った。
「試してみよっか」
彩られた指先で、ゆっくりと唇を撫でていく。形をなぞるようにして、二度三度と繰り返される動きに、ぞくりと肌が粟立った。
部屋の外、どこか遠くで、短刀たちがきゃっきゃと笑う声がする。締め切った部屋の中で、のどかなその音はひどく異質に思えた。障子紙を介した陽光はまろやかで、それを背にした清光の輪郭を黒く浮かび上がらせる。獲物を切り裂く刃のごとき鋭さで、一対の紅色が、爛々と光っている。――彼は、こんな顔をするものだったのか。
狩られる、と言葉が浮かんで、なぜだかすんなりと得心してしまった。獰猛な表情を浮かべた清光が、うっとりと瞳を細める。形を変える紅い光は、それでも目標を過たずわたしを貫いた。
「ねえ、主、俺のこと、」
熱を帯びた、懇願にも似たそのささやきを耳にした、瞬間。
ショートしかかっていた思考回路が、冷水をぶちまけられたかのごとく急速に冷えていく。
「――加州」
わたしの呼びかけに、清光は一瞬息を止め、それを吐き出しながら、わずかに荷重を和らげた。
「人をからかうのもいい加減にしなさい。そろそろ内番の時間でしょう、準備しないと光忠に起こられるわよ」
「……はぁい、」
つまんないの、と小さく唇を尖らせて、清光が体を退ける。視界を覆っていた黒と赤が離れると、日の光がずいぶんとまぶしく、思わず目を眇めた。輪郭のぼやけた世界で、清光が乱れた服の裾を整える。その横顔に落ちたわずかな影に、気づけば彼の名を呼んでいた。
「何? どしたの、主」
名前を呼んだだけで言葉の続かない私を見下ろして、清光が言う。その声は、まるではじめから何事もなかったかのようにあっけらかんとしていて、少しだけやさしい。
「……試さなくたって、ちゃんと、愛してるわ」
逡巡の果てに搾り出した一言に、紅い瞳が丸く見開かれ、それからとろりと細められる。
「ありがと。内番終わったら、またデコってね!」
そう言って、弾むような足取りで出て行く清光の後姿を見送る。足音が遠ざかり、何も聞こえなくなってから、両膝を抱えて、そこに顔をうずめた。
はしたない、と注意してくる人は誰もいない。一人だからと気を緩めた瞬間に、目頭がかっと熱くなる。
『俺のこと、ちゃんと愛してよ』
懇願にも、似た。彼の言葉を反芻して、じくじく痛む胸を押さえる。
「すき、清光。すきよ、」
けれど、それは、彼の望む形をしていないから。わたしはきっと、永遠に、気持ちを告げることはないのだろう。清らかな愛情の皮をいつまで被っていられるのか、いくら考えても答えは出なかった。