気持ちは届くよ
生きているのかな?と首をかしげたくなる時がある。見慣れない家屋に、木々の生い茂る緑の庭。幼子が楽しそうに遊んでいる。畑を耕す男達。馬小屋。竹刀の音が響く、離れ。どれも鮮明に写るけれど、私だけがぼやけて、取り残されている。
一筋、汗が伝う。それぐらい縁側でぼんやりしていたようだ。汗を腕でぬぐっていると、聞きなれ始めた声がかかった。
「あるじ様?」
「鯰尾君」
どうしたの、と何気なく顔を覗き込まれる。なんと顔の整って、まつげの長いこと。言葉を濁しながらも、飽きずに彼を見つめる。美人は見ているだけで感心してしまう何かがある。私の目線にもう慣れてしまったのか、彼はもう動じない。そのまま隣に座ってしまった。
「暑いね」
「そうだね。水でも浴びたくなるね」
「川にでも行く?ついてってあげますよ」
「いやいや…、冷却材でやるからいいよ」
「資源ですよそれ」
何気ない会話を交わしながら、目線はまた庭の方へ。あぁ、五虎退君がセミをくっつけられそうになって…泣きながら虎と走っている。セミを持って追いかけているのは愛染君。縁側から「こらあ」と声をあげる間もなく、畑をいじっていた薬研君が短刀達をいさめ始めた。深く染み入るお言葉で言い聞かせる彼に口喧嘩で勝てる者はいない。愛染君はセミをはなす。助かった!と言わんばかりの声で鳴きながらセミはどこかへ飛んで行く。短刀の二人と虎達はその行方を見えなくなるまで見送る。愛染君の頭に手をやっていた薬研君は、こちらを振り向いた。目線がばっちり合った。ウィンクしてみせる薬研君に笑いながら手を振る。彼は機嫌が良さそうに畑仕事に戻っていく。短刀達もどこかへ駆けて行く。
振っていた手を膝に戻して、息をつく。微笑ましいものだ、まだ笑みは抜けない。あぁ、なんて。
「平和だねえ」
「そうですね」
いや平和でもないな、と呟いた後に思えば、脳裏に戦場で刀を振るっているであろう彼らが浮かんだ。まだ重い傷を負って、血に塗れた彼らを見たことがないから、こんな能天気なことが思えるのだろうか。
実際に命を張って戦っている彼らに失礼な言葉だったかもしれない。だけど、鯰尾君はいつものように言葉を返してくれた。それに安心している私、とは。
「…鯰尾君」
「ん、どうしたの?」
鯰尾君が私の顔をじっと見つめたのが分かった。私も彼を見返す。
審神者の適正が見つかった時、特に自分の夢も希望もなかった。そのせいか、あれよあれよという内に昔へ送られていた。しぶしぶながらも他にやる事もやる気もないし言われたとおりの事をやって刀剣男士を呼び出す。そして、彼らに戦ってもらうだけのお仕事、…だと思っていた。
実際には彼らはちゃんと心もあり、ちゃんと人間で、泣いたり、笑ったりして、私なんかより生き生きと日々を過ごしている。眩しい存在だった。彼らを失ってはいけない。
それなのに、私は一緒に戦っていない。屋敷で彼らを待ってるだけ。敵と戦う覚悟すらない。平和ボケしている。
だからこそ、だ。
「これからは私も一緒にあなた達と戦場へ行こうと思うの」
「えぇっ!」
「あるじ様じゃ無理ですよ!あんた、虫一匹殺せない人でしょ!?」…もっともな正論だ。だが、私はくじけない。彼らと対等に、そして彼らの力になる為なら、どんな危険でも冒してみせる。
「覚悟を決めたいんだよ。みんなと一緒に敵と戦う覚悟を」
「……それなら、大丈夫ですって」
急におかしそうに微笑む鯰尾。おもわず首を傾げた。何が大丈夫なのだ。真剣な告白を笑ってごまかされたようで、釈然としない。
「あるじ様は知らないと思うけど、貴女の気持ちは俺達にちゃんと届いてるんですよ」
「え…?」
「俺達が戦に行っている間、あるじ様、ずっと俺達が折れない、…死なないように祈っているでしょう?」
ここはときめく所なのだろうが、生憎私にはそうは思えなかった。それはまずい、と後ずさった。確かにずっと心配しつつ、生きて帰ってきてと何かしらに祈っている。
…もしかして、私の思っていることは全部刀剣達に筒抜けなのか。そう疑い出したら、わーわー!とジャミングでもないが頭の中と口で騒ぎ立てる事しか出来ない!…鯰尾君はそんな私を見て、声をあげて笑い出した。
「あはは…!さすがに主の思ってること全部分かる訳ないですよー」
「本当!?本当ね!?」
つかみかかる勢いで彼に近づく。すると、急に笑みを消し、表情を正した。それを見たら慌てて口をつぐんでしまった。
「えぇ、…そうですね。あるじ様の切実な願いだから俺達に届いたんでしょうね。…これって結構、俺達の力にもなるんですよ」
胸に握り締めた手を添える鯰尾君。目を閉じて、何か思い返しているようだ。
だが、私はそれに水を差す。
「……でも、近くにいた方があなた達にもっと力を送れると思うけど」
「多分変わりはありませんよ」
「多分て」
「…でも、そうだな」
「な、鯰尾君」
考えるように顎に手をやる鯰尾君。それは、何かしらよくない事を思いつく予兆だと最近気付いてきた。馬糞の件とか。私は、気後れしながら彼の名を呼びかける。
「真っ先に敵の標的になるであろうあるじ様を守りながら戦うのも、いいかもしれませんね!」
とてもいい笑顔だった。私は顔が引きつった。
「……やっぱり考えておきます」
「なんでですか!折角あるじ様を守るのもアリだな〜って思ったのに!」
「アリってなんだ」
不満そうに頬を膨らませる鯰尾君。私はその頬に人差し指を突き刺しながら、後でみんなにも祈りの効果を確認しておこう、と思った。