視線だけの告白
「もう、寝るのか」
連日夜戦が続いていたため、帰るのが朝の4時や5時過ぎになるのに、朝の8時を過ぎれば元気な短刀たち(主に今剣)が”あるじさまーっ、あさです、あさですよ! おめざめのじかんです! さあさあ、きょうもしゅつじんですよー!”と勢いよく腹の上に乗っかってくるので、なかなかゆっくりと睡眠時間が取れず、すこし、体調を崩してしまった。まあ体が気怠いだけで、咳や鼻水などは出ないので、みんなには”今日は出陣はお休み。明日からまた頑張ろうね”とだけ伝え、何事もなかったかのように1日をゆったり過ごしたはいいが、やはり体調というのは、すぐには良くならない。
熱があるのか頭がぼうっとする。明日提出ぶんの報告書くらいは書き上げようと思ったが、どうにも手につかないし、早々に寝て、早起きして書き上げよう。もう1日、寝たらよくなるだろうから。そうだ、それがいい。
そう考えてごそごそと寝床を整えていると、ほかほかと湯気立つ湯呑を2つ乗せたお盆を持った山姥切が、自室の前に立っていた。
風呂を終えたばかりなのだろう、いつも被っている白い布はなく、抹茶とおなじ色をした甚平に素足で、どこかしら色気を感じてしまう。
「あれ、山姥切。お風呂、上がったのね。まあちょっと、今日くらいは早めに寝ようかなってね」
「珍しいな。いつものあんたなら、俺がもう寝ろとうるさく言っても、もうちょっとで書きあがるからとそればっかりで、寝ないくせして」
「ふふ、ごめんね。でも今日は仕事する気分じゃないんだ」
「……そうか、まあいい。そら、茶だ。飲んで、体を暖めてから寝るといい」
「わー、ありがとう。山姥切は、本当にやさしいね」
「……別に、そんなんじゃない。俺は、あんたの近侍だからな。これも仕事のうちだ」
そら、飲め。と私の仕事机の端に湯呑を置き、いつも通り、私の横にあぐらをかく。”……すこし、話してから寝たい。”そういうことか、と解釈し、ぼうっとする頭を何とか稼働させ、ありがたく湯呑を手に取る。
「いただきま……、あ、」
「! あぶな、」
頭では、しっかりと掴んだつもりだったのだが、どうやら風邪でダウンしているポンコツな体では、しっかりと湯呑を掴めてはいなかったらしい。
つる、と湯呑が滑り、机の上にじゃば、と湯気を立てながら薄緑色の液体が広がる。ぽた、ぽた、と机の端から茶が垂れ、正座していた私の太ももにポツリと零れた。飲む適温まで冷ましてから持ってきてくれたのだろう、叫ぶほど熱くはなかった。
それよりも、報告書が濡れてしまった……、まあ、書き直せばいいか。それよりもせっかく山姥切が気を利かせてくれたのにな、と、謝ろうと、「あの、」と顔を上げると、山姥切が「火傷、火傷はしていないか、」と慌ただしく私の手を握った。
「ひゃっ、」
急に手を握られ驚いたというのもあるが、あまりにも山姥切の手が冷たくて、素っ頓狂な声をあげてしまう。……ん? 山姥切が冷たいんじゃなくて、やっぱりこれ、私、熱、ある?
山姥切もそれに気が付いたようで、片手で私の手を握ったまま、もう片方の手でベチン、と私の額に手を当てた。
「…………あんたな、」
「え、あ、はい……、」
「熱がある。どうして言わなかった」
「あ、やっぱり……? いや、なんか心配かけたくなくて、」
「そういうだろうと思ったが、言い訳はいい。さっさと寝ろ」
「え、ええ? 聞いといてそれとか……、てか後片付けしなきゃだし、」
「俺がやる。あんたは早く布団に行け」
「でも……、」
「いいから」
半ば強引に敷かれた布団へ押し込められ、肩までしっかりと掛布団を被せられる。あーあ、こんなに心配されなくても起きたら治ってる予定だったのに……。山姥切は意外と過保護だからなぁ、と口を尖らせているうちに、後片付けが終わったらしい。私の枕元まできて、今度は優しく額の上に手のひらを乗せた。
「……まだ寝てなかったのか」
「だって……、それ、明日提出……、」
「報告書も、乾かせば読める。心配するな」
「続きも書かなきゃいけないし……、」
山姥切ははあ、と分かりやすい、いつもよりも大きなため息を吐いて、淡雪のように白く細い指で、さらりと私の前髪を撫でた。呆れたような大きな溜息とは裏腹に優しい指使いに、頭がぼうっとしているのもあり、ゆるりとした眠気に襲われる。
「……俺はあんたの近侍なんだぞ。あんたに何かあったら俺が責められるだろうが」
「そうかなあ、誰も山姥切のことは責めたりなんて……。」
「するさ。みんな、俺のこの座を狙っているからな」
「…………私の近侍の座を?」
「そうだ。みんなあんたの近侍の座を虎視眈々と狙ってる。まあ……、あんたは自分の近侍なんて使えれば誰だっていいかもしれないが……、俺は、俺には、あんたしか……、」
「……山姥切?」
山姥切が私の頭と前髪をさらさらと撫でながら、思い詰めるように俯くので、眠気に誘われながらも山姥切の名前を呼ぶと、山姥切はハッとしたように私の目を見つめて、「……この話は熱が下がったらな。」と小さい子を宥めるかのような口調で言う。山姥切、そんな顔しないで、私はあなたのこと絶対に近侍から外したりなんて、そう言いたかったのに、山姥切の水晶のような瞳を見つめているうち、意識を手放してしまった。
でもね、起きたらきっと、私よりすこし背の高い山姥切の頭を撫でてあげる。山姥切は、照れ臭そうに俯いてしまうんだろうけど、いつもありがとう、これからもどうかよろしくね、って、言えればいいな。