エイプリールフールの話。
三人称視点/悲恋/大学生




 悟は酒を呷った。一瞬だけくらりと視界が揺れる。気持ちよさに目を細めながら、メニュー表に視線を落とした。

「ここのつくね、美味しいよ」

 悟の向かいに座っている優男風の男の長い指がメニュー表をとんと叩いた。悟はそれを見てから、ちらりと男を見遣る。

「神崎は良くここに来るの」
「良く――ではないけど。美紀がここのつくね、好きなんだ」
「…へえ」

 頬を少し赤くして笑う神崎に、悟の胸はずきりと痛む。悟は神崎のことが好きだ。しかし、神崎には彼女がいる。そもそも、男しか好きになれない悟とは違う。そのため悟は自身がゲイであること、神崎に想いを寄せていることは告げていない。打ち明けて距離が出来てしまうなら、このまま親友として一緒に居たいというのが悟の願いである。とは言っても、神崎の口から女性の名が出るたびに、悟は嫉妬で狂いそうになった。
 悟と神崎の出会いは四年前。高校生になって数か月経った時だ。ゲイであることがクラスメイトに知られてしまい、脅されている時だった。まるで正義のヒーローのように。王子様のように。神崎は現れた。一目惚れだった。一年生の時は神崎とは違うクラスだったため教室ではクラスメイトに絡まれていたが、神崎に会えると思えば全然苦痛ではなかった。
 過去を思い出し目を閉じると、神崎がくすりと笑った。「眠いの?」

「んー、いや、そういうわけじゃないけど」
「そう? 眠かったら、寝ていいんだからね」
「お前ひとりになるじゃん。眠らねえよ」

 悟が笑えば、神崎も嬉しそうに顔を緩める。悟は幸せだった。次の瞬間までは、確かに。

「……あのさ。上田に隠してたことがあるんだ」

 突然真剣な表情になる神崎に悟は息をのむ。一体なんだと思いながら、先を促した。嫌な予感がした。

「…俺、美紀と結婚…したんだ」
「……、え? けっ…こん?」

 神崎はこくりと頷く。

「え、だって、大学は…」
「中退するつもり。仕事探して、働くよ」
「そ、そう…」

 ――結婚。……結婚? 悟はぶわっと汗を額に浮かべながら、心の中で復唱する。分かっていたはずだった。しかし、心の準備もなしに言われ、悟の心の中は嵐のようにぐちゃぐちゃだった。眉を寄せ黙り込んでいる悟をじっと見ていた神崎は、ふっと体の力を抜いた。そして柔らかい笑みを浮かべる。

「なんて、嘘」
「……はっ?」

 言われたことが理解できず、頭の中が真っ白になった。

「今日、何日か知ってる?」
「……四月一日…あっ!」

 エイプリールフール。嘘を吐いても許される日。悟は脱力した。

「なんだ、びっくりした…」
「まあ、でも…もう婚約はしてるんだけど」

 安心した悟だったが、再び地獄に突き落とされる。今度は本当なんだろう。ぎゅっと心臓が締め付けられ、痛みで悟は顔を歪めた。その顔を見られまいと俯く。

「良かったじゃん。お前、美紀さんのことすげー好きだもんな」
「うん」

 声は震えなかっただろうか。不安になった悟だったが、神崎は気にした様子ではない。ちらりと窺い見ると、幸せそうな顔をしていた。自分に向けてではない。美紀を思い浮かべ、そんな表情をしているのだと思うと、泣きそうになった。

「…? 上田?」
「神崎、俺さ…」

 「初めて会ったあの日から、お前のこと、好きだったんだ。恋愛感情で」悟は静かに言った。初めて零した自分の想い。神崎が困惑しているのが空気で分かった。

「え、上田…」
「なんてな」

 「え?」きょとんとした神崎。悟はにやっと笑った。

「嘘だよ、嘘。バーカ」
「あ、ああ…まさか上田がそういう嘘吐くなんてね。びっくりしたよ」

 悟と神崎は笑い合う。悟はぎりぎりと手の甲を抓った。手は小刻みに震えていた。悟はわざとらしく携帯電話を見遣って、慌てたように立ち上がる。

「悪い、電話しなきゃいけないの忘れてた。ちょっと席外す」
「うん、分かった」

 携帯電話を手に取り、悟は背を向ける。その背に、神崎が声をかけた。「上田」

「気持ち、嬉しかったよ」

 「…おう」悟の目から一粒、雫が零れ落ちた。









 トイレでみっともなく泣いていた悟に、声がかかった。

「お前、上田?」
「げ…」

 ゲイだとバレたかつての同級生だった。なぜこんなところで、このタイミングで会うんだと思いながら男を睨む。男は悟の顔をじろじろと見て、眉を顰めた。

「…なんで泣いてる?」
「うるさい。お前に関係ないだろ」

 黙る男に、悟はこのイラつきをぶつけてしまおうと、口角を上げた。

「武井」
「あ?」
「ちょっといろいろあったんだよ。八つ当たりしてごめん」
「お……おう」

 いきなり素直になった悟に戸惑う武井。調子に乗って、悟はつづけた。

「本当は武井にずっと会いたかった…。俺、武井のこと、好きなんだ」
「……は!?」

 顔を赤くして目を見開く武井に笑いが堪え切れなくなる。

「嘘だよ嘘。エイプリールフールの嘘。お前なんか嫌いだバーカ」

 鼻で笑って去っていく悟。それを呆然と見送った武井は、顔を歪めた。

「俺だって…」

 武井はがしがしと髪を掻いた。

「俺だって、嫌いだ、馬鹿」

 辛そうにつぶやいた武井の言葉を聞いた者はいなかった。






fin.



上田 悟(うえだ さとる)

ゲイ。神崎のことが好き。
雰囲気イケメン。

神崎(かんざき)

彼女を溺愛している。ノンケ。
悟の親友。優男。

武井(たけい)

不良。高校生の時から悟のことが好き。
いじめっ子気質。