『麻美子は健四郎の腕を取った。するりと自分の腕と絡ませてにこりと笑う。その姿は愛らしく、誰もがハッと息を呑むものだったが、健四郎は冷めた目を向けて、腕を振り払う。触るなと一言鋭く言い放ち、部屋を出て行く。麻美子はバタンと閉じる扉を見届けて、悲しそうに目を伏せた。彼女は――』
 
「なあ、これ、借りられるか」

 本に意識を集中させていると、邪魔が入った。僕は差し出された本を見て目を見開く。

「これ…」

 僕がちょっとずつ読み進めていた本だった。ついに、借りる人が現れたのか。……どんな人だろう。僕は顔を上げて、更に瞠目する。
 切れ長の瞳。意志の強そうな眉。薄い唇。肌は浅黒くて健康的だ。一つ一つのパーツが綺麗に整っている。焦げ茶色で少し眺めの髪は外に跳ねている。きっと、背も高い。……なんて格好いい人だろう。暫し見惚れていると、男は訝しげに眉を顰めた。

「何だ?」
「あ、いえ…。えっと、この本、ですか?」
「ああ」
「…少々お待ちください」

 カードを取り出して、名前を見る。新品そのもののカードに初めて書かれた名前。僕はその名前を凝視する。

「久城、俊…」

 ――久城?
 僕はバッと顔を上げる。

「うわ!? どうした?」

 驚いたように目を開く男――。確かに、スーツを着ている。それに、学生には見えない大人の雰囲気を出していた。ということは。僕の頭に毎日のように廊下から聞こえる怒鳴り声を思い出す。

「い、いえ、なんでもないです」

 この人が、そうなのか。…女子たちが騒ぐ気持ちが分かった。こんなに格好良かったのか…。

「返却は二週間後になります」
「おう、さんきゅ」

 …あ、笑った。笑うと、八重歯がチラリと覗いて愛嬌がある。

「――ところで、テメェは何で寝てんだァ?」
「い゛っ!?」

 ニヤリと笑ったかと思うと、文月の耳を引っ張った。悲痛な声が隣から聞こえて、同情する。あれは絶対痛い…。

「なっ、なんすか、先生…」
「なんすかじゃねえよ。お前も当番だろうが。こいつ、えーと、お前名前何?」
「えっ」

 いきなり名前を問われて目を丸くする。じっと見つめられて、慌てて名前を口にした。

「池鶴朝陽です」
「池鶴か。おい、文月、池鶴一人に任せてんじゃねえよ」
「任せてねえよ、なあ?」

 僕に言って首を傾げる。殆ど寝ていたけど、話を合わせた方がいいだろう。僕は頷いた。