「ごめん」

 俺は椅子に踏ん反り返って座り、恐ろしい形相をしている兄貴を目の前で、だらだらと汗を流した。土下座の勢いで体を曲げて謝ったが、反応はない。そろそろと顔を上げて様子を窺い見ると、溜息を吐かれてしまった。

「ご、ごめんって」

 また溜息一つ。
 ここ、生徒指導室に鍵を賭けているから大丈夫だが、こんなところを見られたらヤバイな、とどこかぼんやりと思った。
 因みにどうしてここにいるかというと、騒動に気付いた兄貴がやってきて、鬼のような形相で俺を食堂から連れ出したからである。
 皆ぽかんとしてたな…。俺も含めて。

「……お前なあ、そうやって上目遣いやれば何でも許して貰えるって思ってんのか」
「は?」

 予想外の言葉に体を起こして目を丸くする。上目遣いっていうのは…女の子がやって初めて意味を成すものだと思うけど…。
 兄貴は今度は呆れた表情になり、舌打ちをした。そして苛立ったように髪を掻き混ぜる。俺は次はどんな怒られ方をするのだろうとびくびくしながらその様子を眺めた。……ていうか、やっぱり兄貴格好良いな…。場違いなことを思った。

「…無自覚かよ。尚更質悪ぃ…」

 む、無自覚? 何がだ?

「…はー…。もういい。こっち来い、馬鹿翼」
「馬鹿は余計だっての!」

 柔らかくなった雰囲気に肩の力を抜くと、言われたとおり、兄貴に近寄った。するとにゅっと長くて細い、それでいてしっかりとした腕が伸びてきて、そのまま引き寄せられる。

「う、わ」

 いきなりのことにびくりと震えれば、くすりと笑った声が耳元で聞こえた。そのまま肩口に顔を埋められ、少し癖のある髪の毛が俺の首筋を擽った。

「ちょ、兄貴、擽ったい」
「うっせえ。黙っとけ馬鹿翼」

 また馬鹿っていったぞこいつ!

「…キスされたんだってな」
「え! な、何で知ってんだよ!」
「俺に知らないことはない」
「本当に知らないことがなさそうで怖いわ」

 噴き出すと、兄貴が肩から顔を上げて、至近距離で見つめられた。そのまま自然な流れで俺の顔に近づいてくる。
 額に付けると思った唇は、何故か俺のそれに付けられる。

「……ん!?」

 触れるだけではなく、ぐっと押し付けられてくぐもった声が出た。目を見開いて兄貴の男らしい胸板を押したが、びくともしない。
 な、何でこんなこと――?
 俺の疑問に答える奴は当然存在しなかった。