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 箍が外れたように体が震え出す。男が恐ろしい。ズリズリと後ずさって男から逃げようとするも、愉快そうに目を細めて男は流太郎を蹴り上げる。

「…っ、あ、あぁあぁぁ!」

 まるでサッカーボールを蹴るように、人を蹴る男だ。そして流太郎もまた、サッカーボールのように良く吹っ飛んだ。背中に激痛が走り、悲痛な叫びが響く。

「はっ」

 相変わらず笑い声は見下すものだったが、楽しそうな表情をしている。それがより一層恐怖を増し、流太郎の口からひゅっと声にならないものが出た。
 俺は、ここで殺されるのだろうか。名も知らぬ男に、車を傷つけただけで。――そんな終わり方は嫌だ、と流太郎は思った。だが、力の差は歴然としている。どうすれば、どうすればいい…!?
 男が優雅に近づいてくる。体が痛くて動かすことのできない流太郎は、畏怖の視線を向けた。

「おい」

 ガッ。
 男が流太郎に話しかける。それだけならいいが、どうして声をかける時に殴るのか全く分からない。

「はー…」

 何も反応を返さないでいると、心底呆れたという溜息を吐かれ、流太郎の首元に手を遣る。マフラーの両端を流太郎に見せびらかすように持った。口元には笑みが貼り付く。ちょん、とこの男にしては可愛らしい動作で両手を外に引っ張る。流太郎は事の次第に気づいて、真っ青になった。この男――本気で殺る気だ。
 流太郎はまだ他に比べて怪我の少ない足で思いきり男の体を突き飛ばす。驚いたように目を丸くして離れる男を確認して素早く立ち上がると、痛む体に鞭打って全力で走る。せめて、せめて大通りに出れば。助かる道はあるはずだと自分に言い聞かせる。しかし、そんな希望は一瞬で砕かれた。
 横から足が伸びて、下など見ていなかった流太郎は派手に転ぶ。訳が分からずも、兎に角起き上がろうとしたが、背中に足が乗った。

「糞餓鬼…」

 重みが引いたと思ったら先程よりも強い衝撃が背中に落ちる。あぐ、あぐと痛みに喘いでいる流太郎に容赦なく振り下ろされる。背中を何度か踏まれた後、次に男が選んだのは頭だった。

「い……っ!」

 痛い、と声にならない悲鳴が出る。男は頭を踏みつけ、囁くように呟く。

「痛えか? 痛えよな。もっと痛がれよ、なあ、なあ」
「うっうぅぅう…」

 流太郎の目から遂に涙が溢れ出た。男の声はもう届いていない。

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