7

「…一晩、だけ」

 ぽつりと男が囁くように呟く。心なしか目は潤んでいる。俺は、うぐ、と言葉を詰まらせた。頭にあるはずのない犬の耳がぺたんと折れている幻覚が見えた。熊にも見えるが、大型犬にも見えるなこの男。

「…学校は? どこ?」

 一晩だけなら…。溜息を吐いて訊ねると、ぱっと顔を明るくして答えた。「南橋!」

「南橋? …まじか」

 南橋はここから歩いて十分だ。ちなみに俺の通っている大学より近い。高校が近いなら、そこは問題ないか…。あとは家に連絡を入れて欲しいところだが、さっきの様子を見る限り、難しいだろう。

「わかった、一晩だけな」

 男は目を見開いて、こくこくと頷く。やれやれと思いながら、俺は、さて――と腕を組んだ。

「お前、名前は?」
「礼二」
「礼二ね。俺は隆。まあ、少しの付き合いだけど、ヨロシク」

 俺は手を差し伸べた。伸びてきた手は、握手する代わりに俺の体に回った。俺は無言で殴った。













 大きな溜息を吐くと、隣に座っていた友人が横目でちらりとこっちを窺うのが視界に入った。

「はあ…」
「さっきからなんだよ。なんかあったの?」
「ああうん…。あったあった。ありまくり」
「ええ、なになに? 教えろよ」

 興味津々で訊いてくる友人に、高校生を拾ったと言おうとして思いとどまる。これは、素直に告げていいものなのか…。俺は少し考えて肩を竦める。

「犬」
「ん?」
「犬を、拾った」

 「へえ、犬を」友人は声を半音上げる。そして犬種を訊ねてきた。俺は困る。何て答えよう。強いて言うなら…。

「ラブラドール…?」

 犬には詳しくないが、黒のラブラドールっぽいな、と思う。俺の答えに更に質問を重ねようとしていた友人だったが、講義が始まり、口を閉ざす。
 しばらく無言で講義を聞いていたが、ある時思い出したようにこっちを見て、こっそり言った。

「あのさ、写メとかねえの」
「な、ないない。まったくない」
「え、何その反応」

 なぜか俺は過剰に反応してしまった。友人が訝しげな顔で俺を見て、首を傾げた。


[ prev / next ]



[back]