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 確かに、そんなのと言ったのはまずかった。…しかし、そこまで怒らなくても…。

「くそ…」

 俺はしゃがんで前髪をぐしゃりと掴んだ。
 何にせよ、あのまま放っておくことはできない。もちろん咲の体を案じているだけであって、田中が心配ということは決してない。まだ遠くへは行っていないだろう。俺は立ち上がって足早に公園を出た。案の定、左右を確認すると、そう遠くない距離にあいつがいた。ほっとして近づこうとした時――様子がおかしいことに気が付く。……俺の目がおかしくなければ厳つい男が目の前にいるような…。しかも、絡まれているような…。そこまで考えて、さあっと顔を青くする。やばい、咲の体に傷が――! 慌てて駆け寄ろうとしたら、男がぐらりと揺れて、倒れた。

「は…?」

 呆然とそれを見ていたが、田中の姿が小さくなっていくので、この件は後だと頭の隅に追い遣った。今度こそ田中に近づくと、声をかける前にバッと勢いよく振り返った。俺は吃驚して固まる。田中も俺だと思っていなかったのか、目を見開いて「お前…」と呟いた。そして驚きの顔が段々険しくなって、この場から立ち去ろうとした。俺は逃がすまいとその肩を掴む。

「悪かった」
「ああ?」
「…そんなの、とか言って」

 田中は目を丸くした。俺が謝ると思っていなかったんだろうか。

「…ふーん」
「ふ、ふーんって、お前、人が謝ってんのに」
「……俺も悪かったよ」
「え」

 今度は俺が目を丸くする番だった。珍しくしおらしい態度の田中を見下ろす。

「確かに腹立ったけど、ここまで怒る必要はなかったよ」
「お、あ、ああ…いやでも俺が悪いし」
「もういいっつの」

 くしゃ、と笑う。困ったような、照れたような、そんな笑顔にどきりとした。子犬に向けたさっきの笑みに近いそれが、俺に向けられている。どきっとしたのは…あれだ、咲の顔だから…。そう思うのに、俺の頭は目の前の人物は咲じゃなくて田中として認識していた。
 って、何馬鹿なこと考えているんだ。考えを振り切るように頭を振ると、田中が訝しげな顔で俺を見ていた。取り繕うに笑って、未だ大事そうに抱えられた子犬を見る。

「犬、好きなのか?」
「……ああ、まあな」

 ぶっきらぼうに答えるが、その顔は優しい。好きなのは明らかだった。まったく知らなかった田中という人物の情報を一つ手に入れ、なんとなく嬉しかった。他に、田中について知ったのは…。ぱっとあの時の映像が浮かび上がる。……あれは、一体なんだったんだ? 絡んできた不良を、こいつが…?
 じっと見つめていると、田中が顔を顰めて俺を見上げた。

「なんだよ?」
「……いや」

 今、訊くのはいけない気がした。俺は首を振って、疑問を胸に仕舞った。
 

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