▼ 11
あの日から数日が経った。男は何故か帰ってこなくて、俺はイライラとしていた。世話係とか言っておきながら、何もそれらしいことをしない上に勝手にいなくなるなんて。
「…どう思う?」
木に刃を入れようとしていた宮司が手を止めてこっちを見る。眉間に皺が寄って、不機嫌そうだ。あの男が嫌いだと分かっているからその表情になるのも仕方ないと思う。しかし、話せる相手が宮司しかいないから…。
「どう思うって、なあ…。別にいいんじゃないか放っておいて」
「ううん…」
宮司はそれだけ言うと、再び木の方に体を向けた。俺はモヤモヤとした気持ちを残したまま筆を取る。コンクールが近いので、今仕上げに入っている。しかしなかなか手が動かない。こんな状態でやってもいい作品にならない気がする。
「ちょっと外の空気吸ってくる」
「あ? ああ」
俺は散々宙を漂っていた筆を筆洗に置くと立ち上がる。ベランダに出ると、夕日に染まった空を眺める。野球部などの部活の声が聞こえる。何気なく視線を下ろして――固まった。
あの男がいる。ウェーズリーも一緒だ。それを見た瞬間言いようのない感情が胸を占めた。良い感情ではない。苦しい。見ていたくないと思うのに、俺の視線は彼らに留まっていた。
「……あれ?」
良く良く見れば、なんだかあまり良い雰囲気ではない。ウェーズリーも男も、顔を顰めていた。ウェーズリーはともかく、男がウェーズリーを目の前にしてそんな顔をするとは思っていなかった。ウェーズリーのことを話すあの男の表情は、酷く柔らかいものだったから。
何を話しているかまでは聞こえない。じっと彼らを見つめていると、ウェーズリーが動いた。腕を上げて、振り下ろして、それが男の頬を叩いた。
「あ」
ウェーズリーは足早に去っていく。男はその背を見て――何故か、顔を上げた。目が、合う。男も俺も、目を見開いた。
『じゅん』
呆然とした男の口がそう動くのを見た。男が今までに俺の名を呼んだことは一度たりともない。読唇術が使えるわけでもない。なのに俺は、男が俺の名を呼んだと確信していた。
「……っおい!」
気が付けば俺は叫んでいた。驚いたようにこっちを見上げる男にびしっと指を突きつけた。
「今日は帰ってこいよ!」
男の目が更に開かれる。それに気を良くして、俺はにっと笑った。
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