3

 暑さから解放された俺は、扇風機の風を受けながら、男が口を開くのを待った。いかにもお喋り好きそうな見た目である。すぐに話題を振ってくるだろう。偏見じみたその考えは、間違っていなかったようで、男はにこにこしながら名乗った。

「俺、平沢ね。平沢達也。フリーターやってます。キミは?」
「……篤」

 男の質問に初めて答えると、男は目を見開いた後、嬉しそうに笑んだ。胸が苦しくなって、殺意が蓄積していく。

「篤くん。宜しくね」

 手を差し出されたが、俺はその手をじっと見つめたまま動かなかった。シルバーアクセサリーで飾られた重そうな手が穢れて見えたのが理由の一つだ。
 握り返されないということを感じ取ったのか、苦笑して手が引っ込められる。何故だか、胸が嫌な音を立てた。

「篤くんは、ここら辺の人?」

 俺は頷いて肯定を示した。実際、そうだった。ドクターの家から十分もかからずにあの大通りまで辿りついた。

「そっかあ。だから見覚えがあったのかな?」
「え……」

 見覚えがあった、だって?

「店で見たのかも。……うん、うん。なんかそんな気がしてきた」
「店って…」
「あの大通りの近くだよ。風味堂っていうラーメン屋なんだけど、俺、あそこでバイトしてるんだよ」

 知らない。…けど、何だか妙な懐かしみを覚えた。俺は、この男を知っているのか。…だから、”殺さなければならない”のか。この男を知る必要がある、と思った。

「あ、あれ…? もしかして、分かんない?」

 頷く。困ったような顔で、間違いないはずなんだけどなあとかなんとか呟いている。俺は扇風機に向かって手を翳して涼んだ。すると、男――平沢はパチンと手を叩いて、にっこり笑う。

「そうだ、風味堂行こうよ。ほら、お腹も空いたし、風味堂に行ったら思い出すかも」

 平沢は時計を指す。午後一時を差していた。
 どうしようか。迷ったが、確かにモヤモヤしたままでは嫌だ。俺は、急に鳴り出したお腹を押さえて頷いた。


[ prev / next ]



[back]