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 翌日、ロッカールームのドアを開けたトキは、呆然と目の前にいる男を眺めた。上に向かって背伸びをしていた真っ赤な髪が、力が抜けたようにへにゃりと垂れている。

「…え、ひぐ――シュー?」

 動揺して本名を言いかけてしまい、慌てて口を閉じる。全く印象が違う姿に上から下までじっくり見る。

「マジで下ろしてきたのか…」
「セットしてねえだけだ。あとこれ、地毛じゃねえから」
「地毛じゃない? ヅラってことか」
「その言い方やめろ! …バリカンで剃ったから、まだ生えてねえんだよ」

 舌打ちをして下から睨み上げてくる樋口が、変なフィルターがかかり、どうしてか可愛く見えてしまったトキは、首を傾げて目をこする。変なものを見るような目を向けられ、そういった感情は直ぐに消えて無くなった。その代わり、手が頭へと伸びる。お世辞にもいい感触とは言えないが、ゴワゴワな髪が絡みついてくるのが楽しくなり、ぐしゃぐしゃと掻き混ぜる。
 驚いているのか、何の言葉も発さず、行動も起こさない樋口。トキは顔を覗き込んで、ニヤリと笑う。

「なんだ、照れてんのか」
「う、うっせーな! いい加減放せ!」

 女性が頬を染める姿は仕事柄見ることが多いトキだが、それを見てもっと構いたいと思うことなど殆どない。それが今、樋口に対して芽生えているということにトキは混乱した。擬似恋愛で女性を喜ばせることを長年続けてきたトキだからこそ、樋口を抱きしめたいという己の欲求に戸惑いを隠せないのだ。
 樋口が女性のように可愛らしかったり美人だったりした場合には納得もできよう。しかし、樋口に女性らしさなど露程にも見当たらない。どうしたら抱き締めたいなどとトチ狂った考えが浮かぶのだと自分の脳に問い質したくなる。トキは文字通り、頭を抱えた。

「アンタ、どうしたんだ?」

 トキの様子がおかしいことに気がついた樋口が訊ねるが、トキは微動だにしない。もう一度、と口を開いた時。

「シュー、指名入ったぞ! 町屋様だ!」

 ドアの向こうから樋口を呼ぶ声が聞こえた。

「ああ、直ぐに行く!」

 頭を抱えた手がピクリと反応する。顔を上げたトキは、酷い苛立ちを覚えた。マチヤサマ。樋口のことを気に入っている美人だ。彼女のことは樋口も気に入っていて、いつも楽しそうだった。ドス黒い感情がトキを襲う。

「…じゃ、俺行くからな。…体調悪いなら横になっとけよ」

 心配の色を含ませた顔を時に向け、部屋から出ようとする。

「待て」
「あ? ……って、うぉあ!?」

 考えるより先に体が動く。樋口の腕を掴んで引き寄せると、体制を崩した樋口の背中がトキの胸に当たった。

「てめっ、なにす――!」

 暴れる体をぎゅっと力強く抱き締めて、首を回して振り向いた時を狙って唇を塞いだ。

「ふっ!? ぅ…んぁ、や、やめ、んむ」

 樋口は状況が理解できずに硬直するが、続く口づけに頭がボーっとし始めた。流石にこれがファーストキスではなかったが、こんなに気持ち良いのは初めてだとぼんやり思う。抵抗など、疾うに出来なくなっていた。
 少しの間樋口の唇を味わっていたトキは、ノックの音で我に返った。慌てて体を離すと、ぜえぜえと荒い息を吐いている樋口を見た。キリッと上がっている眉は情けなく垂れ下がり、頬は酸素不足で赤くなっている。これまで相手をしてきたどの女より色っぽいと思ってしまったトキは、重症に違いない。

「シュー! お前何やってんだ!」
「わ、悪ぃ! 今行く!」

 ギロ、とトキを睨み付けてドアの向こうへ消えてしまった樋口の背中を、トキはずっと見つめていた。
 男に対し全く抵抗のなかった自分と、樋口に欲情した自分。どちらも否定はできないが決して認めたくないものだとトキは溜息を吐いた。
 
 







 仕事に私情を持ち込まない。トキは気持ちを切り替えて女性を口説くが、気が乗らないまま時間だけが過ぎて行く。常連客には不審に思われたかもしれないが、あまり指名されたことのない客にはバレなかっただろう。樋口のいる席はトキがいる席から死角にあるので、様子は見えない。仲良さげにするのを目の当たりにしなくて良かったけれど、様子が気になって仕方がないという想いがぐるぐると頭の中を駆け回っていた。
 いつもは早く回る時計が、今晩は異様に遅いように感じた。結局あまりいい成績を残せないまま営業は終わり、ロッカールームで着替えた後、いつも指導をする部屋で樋口と向かい合った。先程のことがあった所為か、警戒するように距離を取っている。そのことに傷ついたトキは、恋する乙女かとせせら笑って、墓穴を掘った。いよいよ秘めた想いを認めてしまったトキは脱力して深い息を吐きながら蹲み込む。突然の奇行に樋口は目を丸くする。

「……お前よ、俺にキスされてどう思った?」
「は!?」
「なんか、抵抗とか無かったのか」

 ハッと何かに気づいた樋口はごしごしと唇を拭く。トキは口を引き攣らせてそれを見た。

「おい、言葉より傷つくぞそれ。しかも今頃しても意味ねえし」
「…っ、なんであんなこと」
「したかって? んなの決まってんだろ」

 どこかで聞いたフレーズだと樋口は思った。ただあの時と違うのは、トキの顔。あの時不敵に笑ってみせたトキは、今にも泣き出しそうに、切なく瞳を揺らしている。胸が苦しくなり、一歩後退りした。

「したかったからだ」

 トキが樋口に手を伸ばす。あ、と思った時にはトキの腕にいた。

「あん時汚い真似して悪かった」
「そ、それはもういいっつってんだろ。生徒手帳も直ぐに返してきたじゃねえか」
「そうだけどよ。…で、もう一つ謝らねえといけねえことがあるんだけどよ」
「あ?」

 樋口はきっとあのキスのことだろうと思い、口角を上げた。謝ってきたなら、直ぐに許してやるか。見事に勘違いをした樋口の笑みを見て、一瞬目を見開いたトキは、ニヒルに笑って樋口の唇に噛み付くようにキスをした。


fin.

中途半端でごめんなさい。
診断メーカーでホスト×モヒカンの『想像できない』という台詞を使った「楽しい場面」を作ってみましょう。と出たので書きました。
楽しい場面じゃなくなってますがね。あと性格変わりすぎだよね。


樋口はトキを憧れとして見てますが、きっと直ぐにオトされる。どんまい。

以下登場人物説明です。


樋口 秀哉(ひぐち しゅうや)

源氏名:シュー
真っ赤なモヒカン。
怖いのは顔だけで、実は単純。でも短気でもあるからすぐに手足が出る。


時原 司(ときはら つかさ)

源氏名:トキ
実は三十路。歩くフェロモン。
最近皺が増えてきたことを内心気にしている。
途中からヘタレへとジョブチェンジ。

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