異彩を放つ存在


 ところが、さあ行こうと張り切っていた八橋先生は保健室から出ると直ぐに、トイレに行きたいと言って、しかも俺が返事を返す前に廊下の奥へと姿を消してしまった。その時に荷物も全部渡されてしまったので、動くことさえもできない。ああ、早速時間のロスが。…不良の皆さん怒ってないといいなぁ、あははは…。遠くを見ながら笑って、ふと思う。先生、保健室のトイレに行けば良かったじゃん! 何で態々遠くの方に行くんだよ! 八橋先生への文句を心の中で思いのまま言っていると、その時、どこからか猫の鳴き声がした。
 学校で飼っているわけではないし、ペット禁止の規則もあるわけだから、いるわけがないんだけど…。気のせいだろうか? 俺は首を傾げた。しかし、何だか声が段々はっきりしてきているような気がする。

「……、あ」
「………ああ゛?」

 なに見てやがる潰すぞてめぇと言いたげな感じで睨んできた男は、眉間の皺が深く刻まれていて、鋭く尖った八重歯が端正な顔に映えている。国分寺先輩と同じくらい、異彩を放つ美形だ。国分寺先輩を「色気だだ漏れの男前」だとすると、この男は「近寄りがたい肉食獣な野生人」と言ったところか。
 ……ん? あれ、そう言えば、東に来てから美形にしか会っていない気がする。と言っても男前やそれなりの顔は中央区に揃っていたが、レベルが違う。何だこれ。俺(平凡)に対する虐めか? 
 ところで、目の前のヤのつく職業をしてそうな奴が親の敵と言うほど睨んでいるのだが。どうしよう。超怖いんだけど。
 そして、所謂、一般的にオタクと呼ばれる種族の持っているロリ系の少女がプリントされた(色はショッキングピンク)服装の、これまた可愛い子猫を抱えた美形な男(しかも見事に着こなしている)の様を、目の前にしたこの動揺と恐怖を誰か汲み取って欲しい。超怖いんですけどおおおお!
 蛇足だが、このTシャツを俺はよく知っていたりする。

「んだよ、何見てやがる」
「へえっ!? あ、い、いえ、ああああああの」

 急に低音の声を響かせて、男が不機嫌に言うものだから変な声をあげてしまった。じろじろと服を見てしまったのが気に障ったようだ。
 はっ、もしかしてこれは何かの罰ゲームではないか!? やむを得ず着ているんだよな!? 寧ろ好んで着ている可能性は極めて低いよ、うん。いやでも、どっちにしろ服装について何か話すのは不味いだろうな…。数秒後に顔の形変わってるかもしれない。有り得そうで怖っ!
 悶々と考えていると、痺れを切らしたのか、男が壁を蹴った。それにびくりと肩を震わせてみれば、今度は舌打ちが聞こえた。ひええ、怖えええ! 因みに子猫は微動だにしていない。何故だ。肝据わりすぎなんだけど。俺子猫以下なのか!
 俺はアタフタと変な動きをし、終いにはこけてしまった。その時にポケットから携帯が落ちてしまった。弟に無理矢理付けさせられた巫女ちゃんシリーズの主人公、巫女ちゃんのストラップが床に転がる。
 その瞬間、男は目をカッと開いて口を震わせた。口は震わせたまま眉間に再び皺が寄る。え? ど、どどどどうしたんだ!?

「てめぇ…!」

 地を這うような、殺気立った低い声。段々と顔が青ざめていくのが分かった。
 嗚呼、母さん、父さん、不幸な息子をお許しください。俺は先立ちます。

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