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 じゃあ行くか。谷屋先輩がコンビに行くか的なノリでそう言って、俺は一瞬怖い場所に行くということを忘れかけた。危ない…コンビニと喧嘩場所じゃ天地の差だ。しかし、そう考えると余計に緊張してきて、握った掌に汗が滲んできた。漸く向かう、その喧嘩場所はどうやら旧体育館らしい。あそこはもう随分前に使われなくなった場所だ。都合のいい喧嘩場所になっているのか…恐ろしい。
 そしていよいよ目前に迫ったとき。今更震えて来て、今すぐでも踵を返して帰りたい。そんなことを考えてはっとした。一度決めたことをうだうだ考えて挙句の果て帰りたい? なんて情けない。俺だって人並みにプライドくらいは持っているのだ。

「……大丈夫か、お前」

 横でボソリと呟かれた言葉。俺は俯いていた顔を上げてハルを見た。外方を向いているが耳は真っ赤である。不良だけどいい奴だなあ…。まだちょっと怖いけど。でも、その心配を含んだ声に嬉しくなって思わず笑ってしまう。……ちゃんと笑えているよな、俺? 引き攣ってないか不安だったが、多分大丈夫だろう。
 手を見ると、小さく痙攣していたのが止まっている。

「有り難う」
「べっ、別に!」

 これが今流行りのツンデレか、と戦前には相応しくない、どうでもいいことを考えられるほど余裕ができた。それを見て谷屋先輩は一度微笑むと、扉を開ける。









 中はまさしく地獄絵図ってやつで、こんなものを生で初めて見た俺は、息を呑む。血の臭いが充満して、怪我をしている奴は未だ倒れている。怪我をしていない奴は手当ての方にまわっていた。ここに向かう途中に喧嘩が終わって二時間が経過したと聞いていたが、そんなに時間が経ってもこんな状態なのか、と目を見開く。谷屋先輩は言った。「さっきはもっと酷かった」と。
 中にいる奴は急がしそうにしていて、俺たちに気付いていない様子だ。どうしたらいいか分からずキョロキョロしている奴が多いな。あと、手先が不器用なのか包帯が散乱している。焦らしを切らした谷屋先輩は大声で叫んだ。

「もっと効率よく怪我人を運べ! ああ、添畑。お前は高月を手伝え!」
「はっ、はい!」

 谷屋先輩は次々に指示をしていく。おお、凄い。先程までの動揺や混乱が嘘のように、皆きびきびと動き始めた。そんな様子を呆然と突っ立って見ている俺たち。えーと、どうしたらいいんだ?
 ハルと俺の間に沈黙が流れる。そんな気まずい空気に容赦ない言葉が飛んで来た。
 
「田中! お前らも手当てを手伝ってくれ!」
「ええ!?」
「はっ!?」
 
 有無を言わせない様子で叫んだ谷屋先輩の言葉に、同時に叫んだ俺たちの返事を聞かずに遠くへ走って行ってしまった。いや、まあ俺は家事が得意だし……手当てもできるかもしれない。権力がある谷屋先輩の言葉を無視するのも、何より、不良とはいえ、怪我人をこのまま放っておくのは色んな意味で嫌だ。こ、怖いけどやるしかないよな。お前誰だとか言われていきなり殴ってこないよな? 不安はあったが、ハルの傍なら安心だし。ハルが怠そうに俺を見下ろす。割りと見慣れたし、怒っている風ではないと分かってきたから、俺は小さく頷く。驚いたように目を見開いたハルは、次に舌打ちして俺の腕を乱暴に掴むと谷屋先輩のところまで歩いていく。
向かっていくときに苦しそうな表情や声に俺はどんどん心配になってきた。――し、死んだ奴とかは流石にいないよな…? っていうか、これ高校生がする喧嘩か!? ヤのつく職業の方たちの争いとかじゃないよな!?
 谷屋先輩は近づいてきた俺たちをみると、早急に言葉を紡いだ。

「すまないな。添畑って奴があっちにいるから……えーと、取り敢えず緑の奴だ。あいつのところへ行ってくれ。…で、お前はあっちだ」

 ……お前はあっちだ? ハルを見て体育館の奥の方を指差す谷屋先輩。い、嫌な予感がするんですけど…?
 俺が固まっているうちにハルは指定された場所に行ってしまった。ええええー! ま、待ってくれ! 頼みの綱がああああ!
 ていうか緑の奴って超アバウトー! そんなんじゃ分かんないに決まって――……っ。

「あ、いた」

 緑ジャージに苔のような緑髪のそいつは確かに「緑」だった。

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