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 抑揚の無い口調で言われたのは想像していたものほど生易しいものではなかった。
 山梨――山梨亘。東に所属しているこの男は北でも有名だった。ずっと寮にいる引き籠もりな奴ではあるが、流石は東に所属していると言おうか。たまに出てきては暴れまわる危険な奴だ。
 実力はハッキリ言って国分寺さんと大差ない程度だろう。前に北と東が激突した時(四つの区の間でそういうことが時々ある)途中で乱入して来た山梨は見境なく人を殴りまくった。乱闘どころではなくなり、東と北の総出(しかし唯一国分寺さんだけはニヤニヤと憎たらしい笑みを浮かべながら傍観していただけだった)で漸く止めることができたが、辺りには倒れている人、人、人…。地獄絵図のようだった。喧嘩でああも一方的だったのを見たのは初めてで、俺は暫く恐怖に慄いた。
 
「テメェなんか役に立たねぇが、いないよりマシだろう。今回は前より大人しいらしいから俺様は寝る」
「はあ!? ちょっ、待てよ! あの山梨を俺が止められると思ってんのか!? しかも俺は今まで北にいたんだぜ!?」
「あ? だからなんだよ。東の奴等はテメェが移されたこと知ってんだから、来なかった方があいつらキレんぞ」

 国分寺さんは俺を馬鹿でも見るような目で見下ろし、さも当然だとでもいうように言ってのけた。
 …つーか寝るってなんだよ!? それに大人しいって言ったって国分寺さんの感覚で「大人しい」は当てにならねぇよ!
 先程まで赤かった顔は、寧ろ今では真っ青になっている。それくらいヤバい男なのだ。因みにあの男は東に移されたんじゃなくて、「初めから東にいた」男らしい。
 こんなことは五つの区に分かれてから初めてのことだと聞く。ということは入学前に危険だと思わせられる問題を起こしたってことだ。普通そんなことするか? と思うがあの荒れっぷりを見ると納得せざるを得ない。
 国分寺さんは最後にニヤリと笑うと、来た道を戻って行った。あの様子じゃホントに寝るらしい。

「クソッ」

 俺はその背中を睨みながら見送ると、近くにあった消火器を思い切り蹴る。そして体を翻して足を踏み出す。
 ……――って、俺は何処に行けばいいんだ?
 何も教えていかなかった憎たらしい男を思い出し苛立たしげに舌打ちをするが、それでも状況は何一つとして変わらない。しかも辺りに人も見当たらない――。

「あー、田中。お前虎から呼び出されただろう」
「うわっ!?」

 静かな廊下に響いた声。それは後ろからで、俺は驚きながら振り返る。そこには谷屋達がいた。え、いつの間にいたんだよお前!
 心臓がバクバクとするのを(あいつといたときと違うものだ)抑え、谷屋達を睨み付けた。この男は得体が知れない。

「悪い悪い。驚かしたか?」

 拍子抜けするほどあっけらかんと笑みを浮かべて肩を竦めた。なんだってんだ、こんな大変な時に。

「虎のことだからどうせ用件だけ言ったんだろ? 俺が案内する」
「あ、ああ……」

 なるほど、国分寺さんの性格を良く理解してるな。俺が頷いたのを確認して谷屋は歩きだした――。……って歩くのかよ!

「おい、歩いて大丈夫なのかよ?」

 少し前をダルそうに歩いている谷屋に声を掛ける。そう言えばこいつ、妙に落ち着いてないか? あの山梨が暴れてるってのに。
 振り返った奴は一度キョトンとして、白い歯を輝かせて笑った。

「ああ、それなら大丈夫だ。もう事は済んだからな」
「………は?」
「いや、虎がお前探しに行ったのって実は二時間前なんだよ」
「なっ…」

 絶対探す気なかっただろあの人…。
 ……あ? そうなるとおかしくないか?

「じゃあ今から行かなくていいじゃねえか」
「北がどうだったか知らねえけど、こういうことがあったら一回は皆集まらないといけないルールがあんだよ、東は。それにお前にはやって貰わないといけないことがあるしな」

 やって貰わないといけないこと…? 少し警戒しながら谷屋を見つめる。谷屋はズボンのポケットから携帯を出すと、笑みを崩さないまま続けた。

「勿論、お前の同室者にも…な」

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