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「な、そんな……だ、だって、こんな世界、本当にあるわけない……」
「実際にあるみたいだね」

 自分の声が震える。何が楽しいのか、青ざめているであろう私ににこにこと笑うチェシャ。一気にピョコピョコと動く耳が現実感を増し、背筋が寒くなった。

「い、いや……」

 ぐにゃりと世界が歪む。私は崩れ落ちそうになるのを耐えて、ドアに向かって走り出した。

「あ、どこ行くの?」

 後ろからのんびりとしたチェシャの声が聞こえた。









「……どうしよう」

 私はお城を出て、とぼとぼと歩く。ハートのトランプがいるのではと身構えたけど、見当たらなくてほっと息を吐いた。
 帰れないなんて。……これが、現実だなんて。そんなの、嘘だと思いたい。
 空を見上げると、憎らしいほど真っ青な空が広がっている。

「はあ……」

 溜息を吐く。そこで、いや待って、と思う。女王様たちは人間界たちに戻る方法は分からないと言っていたけど。来られたのだから、帰ることだってできるはずだ。
 私は最初にチェシャに会った木の場所を頭に思い浮かべる。そんなに遠くなかった気がする。よし、と呟いて気合いを入れると、私は木を目指して歩き始めた。――のだけど。
 足を踏み出した瞬間、顔のすぐ横を何かが高速で飛んでいった。びし、と体が固まる。

「なんだぁ? テメェは」

 地の底から出たような低い声が聞こえ、私はぎぎぎと首を動かして後ろを見る。城壁に穴が開いていた。銃を撃たれた? でも音がなかった。サイレンサー? 体が震える。声がした方向を見ると、大きな帽子を被った男が銃を構えて立っていた。

「あ、あの……」
「見たことねえ奴だな。つーことは、ヤってもいいってこった」

 くっくと笑って私を睨みつける男の言葉に震えあがる。やる――殺すってこと? に、逃げなきゃ…殺される! でも、足が地面に縫い付けられたようで、動けなかった。

「帽子屋、ダメだよ。それ、僕のお気に入りなんだ」

 銃口が向けられてもう終わりだと思った時だった。さっきも聞いたのんびりとした声が私の後ろから飛んできた。それと言われたのはちょっとムッとしたけど、チェシャは救世主だった。

「あぁん? テメェ、クソ猫。殺されてぇのか?」
「殺せるならね」

 な、なんで普通に会話してるの、この状況で……。私はチェシャと帽子屋と呼ばれた男を交互に見遣った。

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