11

「先輩の気持ちには、応えられません」

 淡々と言おうとしたが、声は震えたし、顔もきっと酷い。優治先輩はそんな俺の反応にどうしたらいいか迷ったように一瞬黙り、俺の顔を覗き込む。

「おい、大樹…」
「俺、帰ります」
「おい!」

 帰ろうと背を向けようとしたが、優治先輩に再び肩を掴まれ、動くことは叶わなかった。

「別に今返事をもらわなくてもいい、すぐに付き合おうとかそういうんじゃねえんだ。だから…」
「時間をいただいても、俺の気持ちは変わりません」
「……お前、今日、何かおかしいぞ。いつもの大樹なら、そんなこと言わねえだろ」
「…これが俺です」

 やめてくれ、と心の中で叫ぶ。こんな態度をとっているのに、優治先輩は怒ることはせず、どうしたとただ訊いてくる。俺は我慢できずに、先程一滴だけ零れた雫が堰を切ったように流れ始める。ぼやける視界の中で、優治先輩がぎょっとしたのが見えた。

「なっ…」

 手から動揺が伝わってくる。力が抜け、俺は今だと思い、優治先輩を思い切り突き飛ばし、控室を飛び出した。今度は優治先輩が追いかけて来ることはなかった。











 タクシーを捕まえ、無事に家まで帰って来た俺。相変わらず酷い顔だったし、暗いし、スーツはぐでっとなってだらしない。何かがあったことは明らかだった。タクシーの運転手はちらりと俺を見ただけで、何も言うことがなかった。普通だったら話しかけてくるだろうけど、気を遣ったのか面倒だったのか、兎に角家に着くまで話はなかった。
 金を持っていなかったので、家の前でちょっと待ってもらい、家に入って財布を取ると、急いでタクシーのもとへ戻った。俺にかけられた声は全て無視した。
 払ってタクシーを見送ってから、さてどうしようかと頭を抱える。家に戻らないわけにはいかない。でも今戻ったら何があったのか訊かれる。

「兄ちゃん?」

 ぎくりとする。郁人が出てきてしまった。俺は仕方なく振り返る。俺の顔を見た郁人が、訝しげに眉を顰めた。

「……何があったの?」
「別に…」
「別に、じゃないでしょ。……話聞くから、ほら、入ってよ」

 近付いてくると、安心させるためか、笑みを浮かべて俺の肩にそっと手を置く。そのまま軽く押され、家の中に入った。そのまま郁人と、部屋へ向かう。別れ際の優治先輩の顔が離れず、俺は溜息を吐いた。


[ prev / next ]

しおりを挟む

11/79
[back]