書記(雪と墨)

(side:チェシャ猫)

「んん…」

 苦しい。
 僕は薄らと目を開けた。目の前に人の顔があった。近すぎて焦点が合わないけど、正体は分かっている。
 腰に回った腕を退かそうとしたけど、拘束する力が強すぎて早々に諦めた。

「帽子屋、起きてよ」
「うっせ」

 起きてるじゃん。心の中で溜息を吐いて、目を閉じる。イカレ帽子屋の手が後頭部へと移った。髪を梳かすように何度も触られ、気持ちよくなってきた。
 イカレ帽子屋たちが来て何日経っただろう。五、六日…それくらいかな。その間学校には行っていない。というより行かせてもらえないという方が正しい。りゅーいちくんやモトヤの話だと、クラスの人たちが心配しているんだって。嬉しいねえ。あ、あと、会計さんが仕事し始めたんだってね。僕が聞いたのはそれくらいかな。

「チェシャ」
「ん?」

 ウトウト仕掛けたところで帽子屋が手を止め、僕の名を呼ぶ。真剣な声だった。

「どうやらタイムリミットみてぇだ」
「え……?」
「浮気しやがったら、マジでぶっ殺すからな」

 ちょっと。そう言おうとした瞬間、目の前からイカレ帽子屋が消えた。そう、消えた――。意識がはっきりとしてきて、心臓が煩くなり始める。この消え方は……まるでリコールの時のような…。…でもこれはリコールじゃない。うん、違うんだ。

「タイムリミット…ねえ」

 ここにいるのが限界で、ワンダーランドに戻ったってことだろうね。ということはハートのトランプも帰っちゃったのかあ。
 僕はベッドから降りると、先程までイカレ帽子屋が寝ていてしわくちゃになっていたシーツを一瞥して、部屋を出た。

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