狼男×借金取り

  単刀直入に言おう。今日、八月八日午後一時半くらいに俺は狼男なる奴を拾った。一言で言うならこの一言しかない。他に何て表現しろと言うんだ。いや、俺だってわかってる。狼男なんて事実上あり得ない。雪男だって都市伝説だ。

「おい、カネトリ」

 てめえ無視すんじゃねえと蹴りが飛んできた。すらりと長く引き締まったそれは俺を目掛けたものだけど、俺だって避けられないほど鈍臭くない。蟀谷を押さえながら狼男を睨んだ。

「っつーか誰がカネトリだ。俺はカナトリだっつの」
「お前借金取りなんだろ? じゃあカネトリだ」

 ニヤニヤと嗤いながら俺の手元を指差す。何でこいつこんなに偉そうなんだろう。俺は手の中の借金者リストをグシャグシャにしていたのをに気がつき苦虫を潰したような顔をして舌打ちした。
 狼男が家に居座るまでの流れの始まりは同僚のこの言葉だ。

「元村が逃げたらしい」
「ああ? あの気弱そうな眼鏡野郎が?」
「ノンフレームのな」
「そこどうでもいいだろ」

 ヤのつく職業をしてますと語っているようなそんな顔をしている(いや俺も人のこと言えねえけどな)同僚。くくっと喉で押し殺した嘲笑が聞こえた。厳ついのに加えていやに整っている顔なので、奴に適うものはいなかった。
 俺は奴の言わんことを理解して眉を顰めて顔を凄めながら笑う。

「悪い奴にはお仕置き、だろ?」
「そうそう。お前さ、ヤれよ」
「いやお前がやれよ、何で俺が!」

 てっきり奴がやるものだと思っていた俺はその言葉に奴の胸倉を掴んで近くで怒鳴る。しかしそいつは微笑んだ。それはとてもいい笑顔だった。普通の、極一般の人がやれば気のいいそれも、こいつの場合は違うというもので。俺は寒気がし、本能的にヤバいと感じて手を離した。しかし逆にその手を掴まれ、端正な顔が俺の顔に陰を作る。

「は、離せよ」

 腕を出来る限りの力で振り払おうとするもびくともしない。奴の力は想像以上だった。こんな仕事をやってるだけのことはある。まあ俺もやってんだけど。考えると空しいから考えないようにしておこう。っつーか、男同士が至近距離で何やっ、て。ちゅ、というリップ音を立てて離れたのは奴の唇。え、何俺マウストゥーマウスされちゃった感じ?

「って、な……何やって!」
「んん?」

 ぱちり、と一度目を瞬いた奴は次いでにやりと悪人も真っ青な笑みを浮かべた。

「言うこときかない悪い奴にはお仕置き、だろ?」









「あー、くっそ」

 実はあれがファーストキスとかいうやつだったりする。別に顔が特別良いわけではない(というか幼馴染が言うには悪人面らしい)俺に近づいてくる奴はいなくて。でも唯一無二の親友はいた。まあそいつは親友イコール幼馴染なんだが。そいつは人受けがいい柔らかな顔つきというか、甘いマスクというものを持っている。簡単に言えばチャラい。喋り方も緩い。だから俺たちはいろんな意味で有名だった。その親友とは高校を卒業してから会ってないが、相変わらず羨ましいくらいモテモテなんだろう。しかし何で結婚のけの字も見あたらないんだろうか。高校時代に付き合った女はいたようだが、一週間保てば長い方だったのだ。ふむ、謎だ。
 俺が何で借金取りになったのかというと、まあそれはどうでもいいからスルーする。
 俺は無意識に唇を横に一線なぞった。しかし直ぐに我に返って舌打ちする。くそ、なにしてんだ俺。
 苛々と歩いていれば、周りは引いた目で遠ざかる。俺は今凄い顔をしているんだろう。不確かではあるけど。普通の顔していても俺の周りだけ人がいないんだからな。

「あん?」

 気がつけば大きく道を逸れていたらしく、どこかの裏道に入っていた。え、なにここどこここ。はて俺は方向音痴だったか。いやいやんなわけねえって。
 うんうん悩んでいると、闇から足が飛び出てきた。驚いて目を開くが、反射神経がいい俺は咄嗟に横に退いた。誰かの足が空を切る。気配がなかった。こいつ、かなりの遣り手のようだ。

「おい、姿を現せ、よ!」

 喋っている間も容赦なく向かってくる攻撃に体を左右に動かし、擦れ擦れの所で避ける。こうすることで敵の居場所を特定できると踏んでいたが、相手は脚力もあるらしく、攻撃の後には違う場所に移動しているみたいだ。考えている間にも攻撃はきて、それは俺の鳩尾に直撃した。同時に吹き飛ぶ体。何とか受け身をとったが打ち所が悪かったのか右肩に激痛が走る。いってえ……! 
 しかし、くそ、と悪態をつく。こいつ、明らかに手加減をしている。本気を出すまでもない、っか。上等だこの野郎。俺は動かし続けていた体を停止させる。

「ぅっ…ぐぁ、っ!」

 再び鳩尾に蹴りを食らった。相手の足がピクリと動く。それを透かさず掴み、にやりと笑った。

「捕まえた、ぜ」

 鳩尾がずきずきと痛む。それでも俺はこの見ず知らずの誰か(しかも強い)を捕まえることに酷く感動した。しかしその余韻もないまま、そいつはのそりと動いた。そして。

「い゛っでぇえええ!」

 首に鳩尾の比ではない程の激痛が走った。そこは生温かく、湿っている。

「捕まえたのはオレの方だ」

 俺から離れると闇の中で始めてそいつは声を発した。俺はそれを聞きながら首に手を当てる。濡れている。掌を血と唾液のようなものが伝う。ってことは…。もう一度手を首に当て、俺は絶句した。これは間違いなく。歯形だ。
 ぺろりと舌で舐める音が響いた。俺は同僚のあいつとはまた違う恐怖を覚えた。それと同時に初対面でいきなり攻撃を仕掛けてきた強いこいつの正体に興味を持つ。

「いい加減姿を現したらどうだ」

 闇の空気を睨むと地の這うような声を出した。無駄だってことはわかってるけどさ、まあ一応な。この声で借金まみれの屑共は怯えて土下座する程だが。

「お前の血、なかなかの美味だったぜ」

 血なんてどれも一緒だろ。つか、人の血を舐めるなんてこいつ変態なのか。
 漸く姿を現した奴を見て、俺は再び絶句した。染めたとは思えない程の綺麗な銀髪の頭にはピンと自己主張するように尖った耳があった。それには痛々しいくらいピアスや宝石のような物が埋め込まれている。そして無駄な肉が付いてなさそうな体の尻には何故か尻尾がついている。人類には有り得ないものが付属しているが、いやいや、幻覚か? それともコスプレ?

「どーもハジメマシテ?」

 にやりと笑ったそいつは見惚れるくらいの美声年だった。後ろ髪を逆立たせている。てっきりワックスで固めたものだと思っていたが、それは柔らかく風に靡いた。

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