「そうだよ〜。立海の、丸井くん」 のほほんとした慈郎くんの声にかぶせるように、赤男もとい『まるいくん』が眉を寄せて不機嫌丸出しにブツクサ言うけど、仕方ないじゃない! だってだって!! 「おいコラお前!」 「だって名前知らないもん」 「だからって、アカオはねぇだろい!赤い男って!!」 「赤いオトコでしょ?」 「そうだけど…って、違う!」 「あなただって、お前お前って。初対面の女の子に、『お前』は無いでしょー?」 「くっ…」 最初から気になっていた赤男の『オマエ』を注意するには、今このタイミングしかない。 言い返すと丸井くんは一瞬黙ったけれど、それでも『赤男』が許せないらしく『俺だってお前の名前、しらねー』なんて、『オマエ』呼ばわりの免罪符とばかりに口を開いたら、今度は慈郎くんがかぶせてきた。 「二人とも、お互いの名前知らないの?」 「「知らない」」 それにしては仲良しだCーなんて笑う慈郎くんに、お店での出会いから今までを簡単に説明したら、ふんふんと頷いて、ちゃんと自己紹介しよう!と言い出した。 ……なんだか先生が小学生に言い聞かせるみたいな展開になったんですけど。 赤男も『ガキじゃねーんだから』と返すも、慈郎くんが言うことは反論しようも無い正論なため、仕方ないと髪をかきながら背筋を伸ばして改めての挨拶をしてきた。 「神奈川の立海大付属高校2年、テニス部の丸井ブン太。ジロくんとは中学からの友達。シクヨロ」 しくよろ? この人の語尾や挨拶はともかく、立海大といえば神奈川のテニス強豪校。 フルネームは最近、跡部くんから聞いたばかりの、慈郎くんのリストバンドの元の持ち主に間違い無く。 「慈郎くんとは小学校1年生からのお友達で、同じ氷帝学園高等部2年生。手芸部の―」 「クラブだろい」 「〜っ!」 名乗る前にかぶせてきた丸井くんに、やっぱり『丸井くん』は止めて『赤男』呼びにしてやろうと密かに決心するも、慈郎くんが『まるいくん、自己紹介終わってないのにダメだC』とたしなめてくれて、続きを促されたのでとりあえず名乗っておいた。 ひとまず自己紹介を終えて休戦とばかりにソファで互いに少しぬるくなった珈琲を一口。 慈郎くんがクッキーとマカロンを褒めちぎるものだから、丸井くんは見る見るうちに気を良くして得意げな表情。 (究極に単純なのね、この人。きっと) 微妙な顔の私に、何を思ったのか『お前のクッキーも中々だったから、まぁ気にすんな』だって。 ……。 オマエですって? あの自己紹介は何のためだと思ってるの、この赤男。 (もう赤男で十分でしょ?) しーかーも。 別にアナタのクッキーと比べてるわけでもありませんから!! 今回たまたまですから。 「え?クッキー、作ったの?」 負けたわけではない。 そう、確かに赤男の紅茶クッキーの方が、私のものより美味しいのは認める……けど、それが私の実力だなんて思わないでよーッッ! いつかの跡部くんへ宣言した時のように、心の中で盛大に赤男へ文句の一つや二つや三つ…と続けようとしたら、慈郎くんが興味津々に私のカバンをあさって、タッパを取り出した。 …慈郎くんはこういうところが無遠慮なのよね。可愛いけど。 まぁ、慈郎くんは余程親しい間柄じゃないと、断りなしに人のカバンに手を突っ込んだりはしないし、見られて困るものが入っているわけでもないからいいんだけど。 「おいおいジロくん。女の子のカバン、勝手に漁っちゃダメだろい」 予想外に赤男がまともな事を言っているけど、小一時間ほど前に人様のカバンに顔近づけてくんくん匂い嗅いでいたアナタもどっこいどっこいですけどね。 「ねぇねぇ、ひとつちょーだい?」 「赤男のクッキー、食べたでしょ?」 「だから、アカオって呼ぶなーッ!」 本屋姉妹への差し入れだとタッパを指差せば、慈郎くんは少し苦い顔して『一枚だけ、ダメ?……でも、内緒にしてほし〜』と可愛らしくオネダリしてきた。 今頃本屋さんで頑張って働いている同い年の方の幼馴染は、慈郎くんの可愛らしさが通用しない珍しい女の子。 オムツをしている頃からの仲だからかもしれないけど、慈郎くんと一緒にいるところは幼馴染の男女というよりもクールな『お兄ちゃん』と天真爛漫な弟みたいな感じ。 外見は綺麗な黒髪ストレートで色白、華奢でスラっとした長身のモデルさんみたいなんだけど、中身はさばさばしてる男前。 腕っ節も強くて男の子たちよりも頼りがいのある兄貴的な感じで下級生女子にモテまくる。 レディファーストが何故か染み付いている彼女が慈郎くんと一緒にいると、男女逆転したかのような会話を交わしていて、面白いんだよね。 慈郎くんも頼れる兄貴(なんだか姉貴なんだか)に甘えっぱなしで、よくポカスカ頭叩かれてるし。 女の子に対しては大らかで優しいなあの子なんだけど、私や彼女と仲の良い女の子たちからの差し入れに関しては、女子はともかく男にはやらん!というスタンスを崩さない。 調理実習でカップケーキを作った時は、あの子が私のカップケーキが食べたいと言うので昼休みにあげる約束をしていたのだけど……たまたま跡部くんに会いに来た隣のクラスの慈郎くんが、勝手に私のかばんあさって食べちゃったことがあって。 いそいそと昼休みに私の教室にやってきたものの、カップケーキが無いと知ったあの子は怒り心頭で隣のクラスに乗り込み、寝ている慈郎くんの後ろから両腕を回してスリーパーホールドをやり出し、あと一歩で慈郎くんが落ちる寸前で跡部くんと私が必死に止めた。 その日の放課後は岳人くんと慈郎くんとあの子の三人で、仲良く肩を並べて商店街に帰っていく……のは幼馴染間の微笑ましい光景ではあるのだけど、その少し後を歩いていた私と宍戸の商店街ではないコンビは、漏れ聞こえる会話に微妙な顔しかできず。 ひたすら謝る慈郎くんと、無視を決め込むあの子と、間でわたわたする岳人くん。 延々と許さないあの子に、岳人くんが『いい加減、許してやれよ』と声かけたら、綺麗な顔を般若のように歪めて、低い声で『岳人』の一言で黙らせていた。 慈郎くんが泣きそうになったところで、ようやく許してあげたのか『今度やったら………落とす』と怖い台詞を吐いたら、途端に振り切れんばかりの勢いで頷いて満面の笑顔で元気になる慈郎くん。 まぁ、コレもあの三人のいつもの光景ではあるのだけど。 ちなみに落とす=締める(気絶させる)って意味だとその時、宍戸に教えてもらった。あの子、プロレスはもちろん、格闘技全般が好きだから…。 慈郎くんの可愛らしいオネダリに、本屋姉妹へはもちろん内緒にすると約束して、タッパを開けたら手が伸びてきたので好きなようにさせる。 …こらこら、二枚とってるよ? 「えへへ、久しぶりだね」 前はよく作ってくれたのにとクッキー齧りながら言う慈郎くんに、最近は裁縫ばっかりでお菓子とは離れていたからと返すと私のお菓子が大好きと言ってくれる。 とっても嬉しいのだけど、正直、赤男の紅茶クッキーとはレベルが違うというか、赤男の腕前を見せ付けられたらこのクッキーを出すのも気が引ける。 けれども、慈郎くんが『チョコチップのクッキーが、一番好きだもん』と笑ってくれるから、それでいいやと思うことにした。 「まぁ落ち込むな。そこそこの出来だ。俺には負けるけどな!」 …赤男はどこまでも一言余計だけど。 「オレの一番好きなチョコのヤツ!まじまじ、ありがと〜」 「いえいえ」 何かを考えて作ったわけではないし、慈郎くんがチョコチップが大好きなのはもちろん知っているのだけど、このクッキーを焼き終えた時に浮かんだのは本屋のアノ子で、彼女が一番好きなのは『チョコチップクッキー』なのよね。 何だかんだで気が合う慈郎くんとあの子を思い出したらつい笑っちゃって、すかさず赤男が『思い出し笑いをするヤツは―』なんて言い出したので、黙らせるため赤男をさえぎり本屋のアノ子もチョコチップクッキーが一番好きだもんね?と慈郎くんに告げる。 途端に、ムンクの叫びのポーズをとり、今更ながら『本屋のあの子が大好きなチョコチップクッキーを2枚も食べてしまった』事実にうろたえ出したので、内緒は守りますと安心させてあげた。 さて、もうそろそろお暇しないと。 一人ランチ後に、クリーニング受け取ったら本屋寄るとメール飛ばしているので、あの子も待っているだろうし。 チラっとのぞいた携帯には、あの子からのメッセージの数々。 『まだ着かない?いまどこ??』 『まさか慈郎に捕まってないでしょうね。それとも岳人?』 『お〜い、あと何分?』 いけないいけない。 「そろそろ帰るね」 「えぇ〜?もう行くの?」 「本屋さん行かないと。待ってるし、ホラ』 ちょうど『まさか慈郎に捕まってないでしょうね』の一文を見せると、どうぞどうぞ行ってくださいと慈郎くんがかしこまってリビングのドアへ手を向け、帰りを促してくれた。 ほんっと、あの子に頭あがらないんだよね、慈郎くんって。 「おい、ちょっと」 「…なに?」 「友達に差し入れすんだろ?そのクッキー」 頷くと、赤男はお皿のクッキーとマカロンを指差した。 少し持っていけと言うけど、いいの? 慈郎くんのお母さんのリクエストで、つまりは芥川家のクッキーになったのだけれど、作り手が持っていけというし、文句なく美味しいクッキーとマカロンなので、一緒に差し入れたらあの子も喜ぶだろうなぁ。 …うん、ここはいただくとしよう。 慈郎くんに貰っていいか一応の許可を取ろうとしたら、ぶんぶん勢いよく頷いて、あの子への差し入れを2枚食べてしまったことはコレで何とか秘密にと念押し。 「大丈夫だよ?黙ってるし。というか、それくらいで怒らないよ………たぶん」 「『たぶん』って言ってるじゃん。バレたらぜってぇ怒るC。すっげぇ怖いもん」 「優しいよ?」 「今度やったら締めるってこの前言ってたっしょ?」 「アレは慈郎くんが食べちゃうからでしょ?」 「知らなかったんだもん…あいつのだって教えてよ〜」 「言う前にかばんから取っちゃったじゃない」 恐怖に戦く慈郎くん。 そんな姿は、私にとっては見慣れたものなのだけど(対あの子限定で)、赤男には珍しいようで今度はこっちが興味津々に話に入ってくる。 「なぁ、それって、本屋の幼馴染だろ?そんなに怖いん?」 「優しくて男前で、美人な自慢の幼馴染だよ。ね〜、慈郎くん」 「うぅぅ…そこに『怖い』も入れて欲しいんだC」 「それ、本人に言っちゃっていいの?」 「!ダメ!!絶対にダメ!!岳人に怒られる」 「何で岳人くん?」 「連帯責任だーって、オレへの怒りを岳人にもぶつけるんだもん」 「あ〜…」 すっごくやりそう。 そうえいば購買で最後のやきそばパンをゲットした岳人くんにダブルリストロックを仕掛け(関節技)、痛がる岳人くんにネチネチと仕返しをして、助けようとして近づいてきた慈郎くんも、お前も敵だと巻き添えを食らっていた。 最終的には『こいつら一応テニスプレイヤーやし、手の関節技は勘弁したって』との忍足くんによって解放されていたけれど。 まぁ、あの子の言い分によると『今日はやきそばパン』と登校の時から岳人くんや慈郎くんに宣言していて、どれほどやきそばパンを楽しみにしていたか知っているはずの岳人くんが、最後の一個を取ったことへの恨みらしいのだけど。 (授業後のチャイムと同時に廊下に出て、鉢合わせた岳人くんとデットヒートを繰り広げて購買に向かったみたい) 「なぁ、俺も行きたい」 「「はい?」」 「本屋。プロレス技決めるジロくんの幼馴染、見てみたい」 「「……。」」 慈郎くんと顔を見合わせ、さてどうしたものかと逡巡してみる。 (ねぇ…どうしよう) (うん……なんか、会わせるとケンカしそうな気がするC) (そうだよねぇ。何ていうか、この人とあの子って…) ……。 ((似てるというか)) あの子は俺様タイプではないけど、それでも他とは違う独特の雰囲気を持っていて、よく言えば自分の道を歩いている。 けれども。 (あいつ、マイウェイなジャイ●ンだし) (…赤男も同じタイプっぽいよね。話聞いてなかったしなぁ) (それに、もし丸井くんがアイツにクッキーのこと…) (あぁ〜。うん、きっとあの子のゴングが鳴っちゃうかも) 私のチョコチップクッキーを、もしあの子の前でダメだししようものなら…間違いなく、赤男に関節技仕掛けるか、やりやすい慈郎くんに矛先が向かうか。 想像に難くない。 基本的にフェミニストだから、あの子。 (オレ、本屋で気絶したくない…) (私も男の子2人を介抱するのは、ちょっと難しいかも) (というか、丸井くんも結構プロレス好きなんだよねぇ) (あらら……ってことは、もしかして) (本屋でバトル始まっちゃうかもしんないC) 女の子相手にプロレス始めるのか謎だけど『丸井くん、そういうトコは女の子でも容赦無しで厳しいとこ、あるから』というし、赤男の強引さはあの子にも通じるところがあるので、よほど意気投合するかハブとマングースになるか。 どちらかかもしれない。 バトルが始まったら大学生の姉の方にゲンコツくらうとさらに恐怖で顔が引きつる慈郎くんに、赤男とあの子を会わせるのは得策ではないと二人とも確信。 興味で目が爛々してる赤男のことは慈郎くんに任せようと親指をたてて合図を送ると、心得たと慈郎くんも同じポーズで返してきた。 では、これにて。 「じゃあ、また学校でね」 「うん。ばいば〜い」 「あ、おい、ちょっと!」 「赤男は慈郎くんと遊びなさい!!ばいば〜い」 アカオじゃねー!! そんな丸井くんの大声が後ろから響いてきたけど、無視してそのまま店に戻り、おばさんからお父さんのスーツを受け取って本屋へダッシュした。 ちなみに『やっと来た!』と待ち構えていたあの子は、私の来店と同時に休憩とってよしとレジのお姉ちゃんに言われていたようで、着いた瞬間部屋に連れて行かてここでもティーブレイク。 『腕あげた?すんごく美味しい。店出せるよ、これ』 ……。 なるほど、何もしらない第三者から見ても、赤男の焼き菓子はプロ級なのね。 悔しいかな、丸井くんの腕は認めざるを得ない。 けれども、私だって…!! 慈郎くんの憧れかつテニスのライバル、丸井ブン太くん。もとい、赤男。 私にとっては……今日この時より、お菓子のライバルと定めることにしました。 (終わり) >>目次 |