ふわふわと柔らかい、花の絨毯のうえで寝そべっているかのような、そんな夢見心地な気分。 温かくて、気持ちよくて、なんだかいいニオイもする。 やっぱり天気のいい外でのお昼寝は最高! 「ん…」 お花の絨毯……じゃなくて、あぁ、そうか。 太陽のにおいがするお布団と、肌に触れるウットリするほど気持い感触は、下にしかれているシーツだろう。 頭をおいてある枕も、その重みに丁度いい具合に沈み、心地いい高さで保たれているので姿勢が非常に楽だ。 そう。 この枕は、快適な安眠を約束する形状記憶つきのもので、作る際にサイズをバッチリ測られたものだ。 絹のような肌触りのシーツは特注で、掛け布団も何もかもが日常使っているものとは違う、最高級の素材で最高の職人が作り上げた一点モノ。 この寝心地を体験できるのは、他のどこでもない、ただ一つ、唯一の場所で― 「え…?」 急激に頭が冴えて目がパッチリ覚めた。 慣れない客室のベッドで横になっていたはずなのに、見上げた天井は見慣れた模様で、ゆっくり頭を左右にふってきょろきょろすると、インテリア、絵画、テレビ、カーテン。 そのどれもが何度も見たことのあるものだった。 「あとべ…?」 間違いなくキングサイズのベッドの寝心地。 となれば、隣には…………シングルベッド1台分ほど離れた距離で、静かに眠る跡部景吾の姿。 はて。 自分は不二と菊丸の部屋で寝ていたはずなのだが、どうしてここにいるのだろうか。 無意識のうちに、離れの跡部の部屋まで来てしまったのか? …それにしては覚えて無さ過ぎる。 上半身を起こして周りを見回し、いつものように『離れの跡部の部屋』で寝ている事実を疑問に思いつつ、ベッドをおりようとしたところで、急に腕を掴まれた。 「…っ…び、びっくりした」 起きてるならそう言ってくれと恨めしげに跡部を見れば、思いがけない真剣さでこちらを見つめる青い瞳とぶつかった。 「な、なに…?」 「……」 「あとべ?」 「……」 「あ、そっか……お誕生日おめでとう。一日過ぎちゃった」 「あぁ。……じゃねぇな、ありがとう」 「……」 「……」 掴まれた手首は存外強い力でぎゅっとされていて少々痛い。 それでも振りほどく気にはなれなくて、かといって『何してんの〜?』なんてからかう雰囲気でも無い。 「あの…、あとべ?」 「何で…」 「え?」 「何で、俺の部屋にいなかった」 「あ…」 「いつもすぐに来て、一人でベッド占領してるだろう」 その通りなので何もいえない。 今回に限り何で来なかったかの理由も何となく言いたくないし、言ったら全てを話さなければならなくなり、変にもやもやして真っ直ぐ跡部邸に来ずにうろうろした結果、とんでもないことになって遅刻したなんて。 きっと過保護なこの男は心配と同時に説教という器用なことをやるのだろうし、そうなったら皆にバレて宍戸と向日にも怒られ、また家族に心配をかけてしまう。 かといっていつものように跡部の部屋で一人でじっとしていることなんて出来そうになくて、慣れた跡部邸にいても誰かのそばにずっといないと落ち着かなかった。 幸い、不二と菊丸なら事情を全て知っているので無理なくそばにいれたし、たとえ夜中に泣き出しても、きっと何も言わずにいてくれるだろうと安心できた。 目覚めたら一人っきりでこの部屋にいて、心底驚いた。 てっきり自宅に送り届けられると思っていたのに、何故か跡部の部屋で横になっていて。 壁時計をチェックしたらまだ寝る時間でもなく、皆が広間で食事中であろう時刻。 さらにソファの上にはオレンジの帆布バッグとともに、車の中で寝る寸前に不二がかけてくれた、お姉さんのストールが置いてあったので、やはり由美子お姉さんのアルファロメオでここまで来たのだとわかった。 自分をここに送り届けてくれたあと、不二たちは帰ってしまったのだろうか? ここにいるということは跡部は自分が遅れてやってきたことを既に知っているはずだ。 氷帝の皆もきっとわかっているだろう。 ボールルームに行こうかどうか迷ったが、いくら慣れている跡部の部屋とはいえ広いベッドルームにぽつんと一人でいることが耐えられなくなった。 怖い。 あんなことなんて過去にもあった。 なんてことはない。もう二度と会うこともないだろうし、またも自分は周りの人に助けてもらったのだ。 それに一番安心できる人の部屋にいるのだから、何かが起こるはずもない。 なのに、どうしてこんなに怖いと感じてしまうのだろう。 誰かにそばにいて欲しくて、誰かのそばに行きたくて。 耐えられなくなって、カバンとストールをひっつかみ急いで皆のいるであろう大広間へ向かったのだ。 ボールルームのドアをあけたら予想通りの大規模なパーティが繰り広げられていたけれど、奥のテーブルに見慣れた氷帝メンバーを見つけてほっとして。 遅刻の理由をどう説明したらいいか少し考え、いつもの『寝てたー』にしようと決めて、皆のところへ近づいていったら、ビュッフェのタイ料理コーナーで取り分けている不二と菊丸の姿を発見した。 そこからは、向日いわくカルガモの親子になったわけなのだけど… 「…すまなかった」 「え…」 「お前を一人にして」 「な、に、言って―」 「ジロー。もう大丈夫だ」 「ーっ!!」 引き寄せられて、自分とは違う体温を頬と胸と、背中にまわされた手から感じる。 跡部の腕の中にいるのだと気づくのに数秒かかった。 「もうお前に変なことをするヤツなんていねぇ。誰にも、触らせない」 「…っ、あとべ、知ってるの?」 「お前を襲った男を処理したのは俺だ」 「!」 不二の言っていた『突然スーツ姿の大人が何人か来て、犯人を連れて行った』の元はこれだったのか。 「迎えをやればよかった……すまない」 「なんで…あとべが謝ることじゃ、ないよ…。オレが、のろのろしてたから」 「それでも、お前を不安にさせた」 「!な、なに、急に」 怖い目にあったこと、一人で部屋に置いたこと……それらは確かに不安に感じたことだけれど、跡部の言っていることはそういうのではなく、もっと根本的なことのように思えた。 『そばにいれなくてごめん』 そう言っているように聞こえて、ついにそのインサイトは心の中までも覗けるようになったのかとぎょっとしてしまう。 「勝手にどこかへ行くな」 「あとべ…」 「俺の目の届くところにいろ……頼むから」 顔をこの目で確かめるまでは心配で不安でしょうがなかったと頭上で囁かれ、びっくりして見上げたら予想以上に跡部の顔が近くにあって、妙にどきまぎしてしまい、咄嗟に顔を背けた。 「ジロー?」 「…ご、ごめん。心配かけて」 「あぁ。まったくだ」 「あの…あとべ」 「あん?」 「そろそろ、離して……近い、よ」 「……」 ほんのり体温があがったような気がするし、鼓動も早くなっているような気がする。 何よりも一緒にこのベッドで枕並べて就寝なんて両手で数え切れないくらい経験しているけれど、こんなに至近距離で話したことなんて無い。 「あとべ…?」 「行くな」 「え…」 「俺のそばから、離れるな」 「…っ」 ―誰かが常に君の傍にいる、というか― 遠くで不二の声が聞こえた気がした。 一人で行動することも多々あるけれど、『一人でいるのが珍しい』と見られているらしい。 そんな芥川とセットで名前があがったのが、跡部、向日、宍戸に丸井か。 (そばに、誰かがいる…誰か……あとべ?) 「一人でいなくなるな。いいか?」 「立海に行くときも、買いものも、一人でいくことあるもん」 「そういうことじゃねぇ。わかってんだろ」 「……」 行き先を告げて一人で出かけるなり、常に連絡のとれる状態でふらふら歩くなり、そういうことではない。 今日のように携帯の電源オフにして、誰にも何も言わずにふらっとあてもなくぶらぶらするな。 把握していると、していないのじゃ、雲泥の差なのだ。 跡部の力や氷帝の皆で守るにも、芥川本人がちゃんと自覚して受け入れてくれないと、限界がある。 「ごめんなさい…っ」 「二度とこんな心配かけるな。俺にも、電話あちこちかけまくったアイツらにも」 「…っ…」 「普段散々かけている心配はいい。もう慣れてる。けど、こういうのはダメだ。わかるな?」 「ひっ…く…っ…」 「怖かっただろ」 「…っ…うん…」 「俺も怖かった」 「あとべっ…」 「聞いたとき、すぐにそばにいってやりたかった」 不二から聞いたときは冷静に処置し、指示したものだけど、その後芥川が来るまでは大丈夫だろうかと常に気になっていた。 何もかも置いて抜け出したいと思えど、それが許されない身。 普段散々自由にさせてもらっている分、やってはいけないことと重々わかっているけれど、昨晩ほど己の立場と生まれを嘆いたことはない。 今頃きっと、泣いているかもしれない。 怖くて震えていたら、どうしようか。 ストーカー男、変な女、ナンパ高校生に、女子高生、エトセトラ。 過去も似たような事件の当事者となり、変なやつに目をつけられては向日に宍戸、時に亜久津、果ては丸井ら立海勢……誰かしらに助けられてはいるものの、跡部は一度も直接助けたことがない。 全ては後から聞くことになり、そのたびに何故自分がついていながらと自身を責めることもあったようだ。 向日と宍戸からも、小さい頃からそういう気のあるやつに好かれやすく、直接そういった輩に接触されては泣いて、宥めるのに大変で家族も対策には一苦労していると聞き、何とかしようと色々な手助けを行った。 ガードをつけるのはもちろん、本人への護身術の指南、両親から相談をうけて最新型の『GPSつき携帯』をピックアップしたり。 (さすがにガードは物々しすぎると遠慮され、芥川本人からも絶対嫌だと断られたため取りやめたが) 「俺の知らないところで泣くな」 「ーっ」 「ずっと、ここにいろ」 「ここ…?」 「そばにいろ」 「…っ」 抱きしめられた腕が、ぎゅっと強くなった気がした。 どきどきする反面、なんだかすごく温かくて、大きな何かに包まれているような、絶対的な安堵感があった。 ―跡部がいてくれたら、何でもできるんだ。 欠けていたものが埋まって、心がまんまるくなったように、なんだか気分が軽くなってパワーが漲った気がする。 不安だったこと。 怖かったこと。 誰かにいて欲しいと強く願ったこと。 その全てが、すーっと消えていくように、温かいぬくもりから感じるのはとてつもないパワーと安心感、ゆるぎない信頼。 「あとべ…っ…どこにも、行かないで」 「…お前がいつも、ふらふらどこか行ってしまうんだろ」 「ずっと、一緒にいてっ…」 「ああ」 来年の10月4日も、きっと学校では近づけなくて寂しくなるとわかっているけど……なんてチクっと心が痛くなる芥川だが、続く跡部の言葉に思考が一瞬ストップしてしまった。 「次から、誕生日もずっとそばにいる」 「え」 「何なら10月4日は学校休んでもいい。学校のやつらには悪いが、お前のほうが大事なんでな」 「!!あ、あ、あとべ」 インサイト?! またしても心をのぞかれた気がして、言葉が詰まる。 「クリスマスも、バレンタインも、全部だ」 『跡部様』状態になるのは10月4日が最高潮だが、イベント時も似たような状況になるのは例年のことだ。 ただし、誕生日と違いバレンタイン等の対象は一人なわけではなく、テニス部含め人気の男子生徒は軒並み大変なことになるので、10月4日に比べればまだマシなほうだといえる。 (バレンタインに限っては芥川を含め多数の男子が追い掛け回されるので) というか、これは、一体…? いくら鈍い芥川でも、先ほどからのこの状態が何なのかは、言われなくても感づいてはいる。 抱きしめられて、頭上から囁かれる言葉の数々……さすがに過保護な同級生とはいえ、内容がいつもとは違ってはいやしないか? 腕の中で泣いてしまった自分も、彼の言葉の答えとして発した言葉も、よくよく考えてみるとなんということを言ってしまったのか。 「何なら来年の10月4日は、どこか旅行にでも行くか」 「あとべ……来年はオレら、一応受験生だから」 それに来年も誕生パーティあるでしょ? 恒例イベントなのでなかなか中止にするのは骨が折れる作業だと難しい顔をするので、来年もパーティ参加するし夜は泊るからいつも通りにやってと告げる。 「なら、学校だけ休むか」 「…女の子たち、楽しみにしてるから可哀想なんだC」 「あん?」 「いいから、来年もちゃんと学校きてよ……夜は、会えるから」 「…お前がそう言うなら」 ポンポン、とふわふわの髪を撫でられているうちに、なんだかぽかぽかして、また眠くなってきた。 「ねむい、かも」 「まだ早いからな。もう一回寝るか」 「うん…」 じゃあ、と腕から抜け出し布団に入ろうとしたのだが、右手で芥川を支えながら器用に布団をめくり、上からかけたら左腕をまわしてきた。 「っ!あ、あとべっ…え、っと…」 「寝ろ」 「ね、寝れないよ…」 「お前はいつどこでも寝れるだろうが」 いや、そうなんですけど… 布団の中でも跡部の大きな胸に顔をうずめ、ぎゅっとされながら、どうしたもんかとぐるぐるぐるぐる……考えているうちに、やがて静かな吐息がお互いからこぼれだした。 >>最終話 >>目次 |