会長視点。 | ナノ
「あなた…、もしかして、特待生入学の生徒ですか…?」
この時の私には尋ねるという選択肢しか浮かばなかった。
どうしても、彼のことが気になって仕方がなかった。
一体、彼のいつもの姿は何であるのか。
一体、彼は何に怯えているのか。
…本当は、誰なのか…
錯綜した頭で混ざり合った疑問について思索してみても、答えが出ないどころか寧ろ更にその疑問が膨れ上がって留まることを知らない。
「どうして会長が知ってるんですか…?理事長が、話したんですか」
二重の大きな瞳をしばたかせながら、桜川がそう言う。
今まで意識して目を合わせたことはなかったけれど、こうして彼の瞳を覗き込むと、何故だか胸の奥底が鋭利な刃物で抉られたかのように痛むことに気がついた。
そして次に感じたのは「この茶色の瞳は偽りだ」という確信だった。
高貴な木材を、コンクリートで塗り固めてしまったかのような違和感。
自然のものではなく、作為的に創造されたかのような。
「以前に理事長で資料に紛れていたのを少しだけ見てしまったんです。目にしたのは顔写真だけだったのですが」
「…そう、ですか…」
悲しそうな顔だった。
自分が発した言葉によって彼を苦しませているのか、と思うとどうしようもない気持ちに陥った。
もう、泣かないで欲しい。
無理をして、自分を繕わないで欲しい。
けれど、私はお願いだから、と心に強く強く願うことしかできない。
あの特待生、小坂を見つめる桜川の表情は、今すぐにでも消えてしまいそうなものだった。
秋という人物の名を聞いた時の悲痛な表情。
慟哭して、涙も枯れ果てたかのような、そんな。
一体彼は何を抱えているのか、彼のことを知らない私は何をどうすることもできない。
桜川を助けたい、と思った。
よくよく考えてみると、彼はいつも笑ってばかりで人間らしさが欠如していたのではないだろうか、と思う。
その外見に反して、きっちりとまとめられた書類や一寸の狂いもない丁寧な字体が時折私を驚かせていたのに。
そのことに関して深く考えることはせずに、桜川はチャラ男だ、と勝手にイメージを決めつけていた。
今まで表面上でしか接してこなかったことに、改めて気付かされる。
「…お願いだから、これからも今まで通りに俺と接してください。そうじゃないと俺、どうしようもなくなる…全部壊れて、ぐちゃぐちゃになってしまうんです」
そう言いながら、彼は泣き笑いを浮かべた。
「…こうしていないと、駄目なんですよ、俺は」
…胸が、痛い。
このまま張り裂けてどうにかなってしまう程に、苦しくて、苦しくて、痛い。
胸に渦巻くこの感情の名前を私は分かっている。
けれど、それを認めてしまうのはあまりにも浅はかで、愚かで。
彼に手を差し伸べて助けることが私の役目のはずなのに、皆の指標である会長であるはずなのに…、私は。
今まで捨ててきた感情が再びピースを繋ぎ合わせて、心の中で組み立てられていって。
零れて拾い集めることが不可能になった“私個人”の感情が、彼を目の前にすると一瞬のうちに舞い戻ってくる。
「私はあなたに…、無理して欲しくないんです」
これ以上の言葉を考え出すことは、不可能だった。
何故なら。
いつものように冷静な私でいられない理由も、滲み出して止まらない綺麗さにこれ程動揺している理由も、分かってしまったから。
この感情の名が「人を好き」だということなのだ、確実に。
一瞬で感情の波に呑まれ、恋に落ちるということなのだ。
嘘に決まっている、と一蹴しても、すぐさま跳ね返ってくる、真実の。
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