一縷視点。

一縷視点。 | ナノ



それから俺は、落ち着かない心を少し整理しようと、カフェへ向かうことにした。
高校に進学してからずっと通っている思い入れのある場所。
マスターがとても親切で、俺のことをもうすっかり覚えてくれている。
木材に包まれた落ち着きのある空間が、煩い外の世界との隔たりを意識させる。
それが妙に安心感に包まれていた。


そういえば、この時間に行くのは始めてだな。
いつも、土日の昼間に行ってばかりだったから、平日のこの時間に行くのは始めてだ。


実のところ平日の外出は禁止されているのだが、抜け出したところで問題はないだろう、と思う。
消灯時間も決められていないし、大体いるかどうかの確認もないし。

というか抜け道、知ってるし。


寮の裏に小さな倉庫…?があって、そこの真後ろに人一人がやっと抜けられるくらいの小道がある。
多分誰も知らないと思うし、教える気もなかった。


その小道をひたすら真っ直ぐ抜けると、学園の裏門に出ることが出来る。
「この学校、警備大丈夫かな」と思う程に閑散とした小さな小さな扉があるだけなのだが。


「…あれ?」


ギシギシと錆びた音のする扉を開けようとした時、あることに気がついた。


扉がほんの数センチ、開いたままになっていたのだ。
たった今、誰かがここを通ったと言わんばかりに。











店の中に入ると、いつもと変わらぬ木材の温かみがすぐに感じられて心がほっとする。
いつもと変わらぬ柔和な笑みを浮かべるマスターの石田さんは「あら、一縷くん。この時間に来るなんてめずらしいね」と声をかけてきた。


「この時間はバイトの子も皆昼間と変わるから…見慣れないと思うけど、ゆっくりしていってね」


「はい、ありがとうございます」と言葉を返し、俺の指定席になっているお店の一番隅っこの席に腰をおろすと、ふと従業員の一人に目が止まった。


楽しそうに石田さんと話す若い男性の横顔に、何故だか既視感のようなものが浮かぶ。


真っ黒で艶のある少し癖のある髪。
華奢な体に、思わず目を向けてしまうほどに綺麗な顔立ち。
一度見たら絶対に忘れないくらい整った顔立ちなのに、俺はその姿を知らない。


知っているのに、知らない。
そんな感覚。


一体、誰だ…?


そう疑問に思っていることを察知したかのように、例の彼がこちらへ歩いて来るのが分かった。
白い陶器のような肌に、思わず目が釘付けになる。


そして何より、彼と目が合った瞬間身体中が震撼した。
藍色の瞳に、吸い込まれそうになった。



あれ?この人…



「…さくら、がわ…?」


気がつくと、口からそう零れ出ていた。
頭では分かっていなくても、直感では「この人だ」と分かっていたのだろう。
見た目も話し方も、全てが違うのに。
いつも見ている姿とは何もかもが異なっているのに。


分かってしまった。



ギクリ、と慌てたような表情を浮かべた彼はすぐさま俺の元から逃げようとしたようだが、「ハルくん」という声に更に焦ったような表情を浮かべる。
そのどれも、俺の知らない表情だった。


最初こそ他人の振りをし通そう、と思ったようだが「桜川だろ」という主張を変えない俺を見て、彼は最終的に折れた。
どうしようかと困ったように、本当に焦ったように、彼は言葉を紡いでいく。
語尾を伸ばしていないだけで、いつもより何倍も声が透き通って聞こえた。


その姿そのものが、作られた彫刻のように見える。
精巧で端正な一寸の狂いもない人形。
けれど、真っ白な肌には間違いなく生の印である赤い血が通っている。
その証拠に、いつもより何倍も感情に満ちているように見える。


そのコントラストが、見る者を虜にする不思議な魅力を感じさせている。



俺はそのあまりの美しさに、驚きという感情を感じることすら忘れていた。



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