強まる雨足、喜雨の調

強まる雨足、喜雨の調 | ナノ



「春先輩、ですよね?」


無垢な瞳と目が合う。
その視線は俺が知っていたもので、知っているもので、忘れられない記憶を含んでいる。
掛け替えのない、心を抉る記憶をその瞳に宿して、俺の脳裏に警鐘を鳴らす。


「…こ、さか…」


口からやっと絞り出した声は自分でもびっくりするほど小さな声だった。


お願いだから。
俺はまだあのこととちゃんと向き合える程強くないんだよ。

だから、お願いだから。


その瞳を俺に向けないでくれ…!


「やっぱり春先輩だ!随分印象が変わったので最初は分からなかったんですけど、声で分かったんです!あの、秋先輩と話してたときの声と似てるなぁ、って。あの時の春先輩は―」


「…小坂」


震える声で続く声を止めようとするが、彼に俺の声は届かない。


「あ、今気づいたんですけど春先輩の今の姿って秋先輩に似てませんか?僕の気のせいかなぁ…。それにしても随分変わりましたね、ほんと―」


「やめてくれ!」


しまった、とすぐ我に返った。
明らかにいつもと様子が違うことに気づいた周りの群集がガヤガヤとし始めるのが聞こえる。
いつもの俺なら、絶対に声を荒げるなんてことはしない。入学してから一度だって皆の前で語気を強めたこともなければ、素で話したこともないのだから。



「今のチャラ男の声だったよな?」

「いや違うだろ、あいつはあんな感じじゃないし」

「いや、でも…見てみろって。あんな怯えた顔してるアイツ、俺見たことないけど?」


どこからともなく聞こえる声が、現実なのか、非現実なのか、それすら分からなくなっていた。


「…あ、す、すいません…そうですよね。秋先輩のこと、忘れたいですよね。辛い思い出ですもんね。けど、けど…っ僕、春先輩があまりにも前と様子が違うから心配になって…本当ですよ?だって先輩、表面だけ笑ってるって感じで…」


周りの音が全て一緒になって、脳裏で不協和音を奏でる。
自分自身を自制する理性も、しなければいけないと思う気持ちもどこかにいってしまって、俺の中で何かがプチン、と弾けた。


「何も知らないのに―」


「…え?」


「何も知らない癖に分かったような口聞くな!俺が、俺が…前と違うからってお前には関係ないだろ…っ」


もう遅い、と思った。
しまった、と思うことさえ感じない程俺の頭は錯乱していて、いつもの口調だとか、笑顔だとか、そんなものはどうでもよくなっていた。


うるさいな。
君は俺達のことを何も知らないだろう?


それなのに、ふざけるな…!


「ご、ごめんさない…っ…まさかそんな怒るなんて思わなくて…」


泣きそうな顔をしながら途絶え途絶えにそう言う小坂の声を聞いた時に、「ああ、やってしまったな」と思った。


…もう、遅い。
遅いんだよ。


グラリ、と地面が揺れる。
目の前に蜃気楼が立ち込めたかのように霞み、体が感じている重力がどこかにいってしまう。


―なんだ、これ?


意識を手放す寸前に、焦ったように走り寄る会長と一瞬目が合った。
俺が最後に聞いたのは「桜川!」と叫ぶ会長の声だった。



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