日常を為すべきだと、刹那 | ナノ
「失礼します」
「春乃君か、入りなさい」
厳重な扉を潜り抜けると、異世界に足を踏み入れたかのような気持ちに陥る。
同じ学園内のはずなのに、まるで違う場所に来てしまったみたいだ。
「理事長…、お久しぶりです」
重い扉を閉め終わると、部屋の奥に置かれたデスクの脇に立っていた理事長が「君が二年に進級してからは初めて会うね。元気だった?今日は忙しいのに時間を取ってもらってありがとう」といつもと変わらぬ落ち着いた声で言った。
実年齢より十歳は若く見えるその姿は、見るからに紳士的で、それでいて皆を惹き付けてまとめるリーダ的な風格も感じさせる。
「元気ですよ、毎日楽しいです」
俺は机に置かれていた鮮やかな青い薔薇に目をやりながら答える。
できるだけ、この人と目を合わせることはしたくなかった。
「うん、ならいいんだ…君が楽しくやっているなら、いいんだよ。
ただね、君と初めて会った時とあまりにもイメージが違うものだから、無理をしているんじゃないかと心配しているんだ」
「…それに、首席で特待生だということはまだ隠し通すつもりなのかな」と彼は続けた。
「できることなら卒業するまでずっと、公表したくないです。ご迷惑をおかけしているのは分かってます…。けど、成績の張り出しの件、引き続きお願いできますか」
「それに関しては全く問題ないよ、君が首席だということを公表したくないのなら、私は君の順位を作為的に変えるだけだからね。去年と同様、あのクラスの中で良くもなく悪くもない順位にすればいいんだね?」
「…はい」
やっぱり俺は、この人の視線が嫌いだ。
全部を見透かされているようで落ち着かない。
素の姿を知られてしまっているから、余計にこの偽った姿をしていることが辛いというのもある。
「もったいないと思うけどな、私は。君はこの学園に入学してからずっと、首席を取り続けているだろう?確かに特待生入学の条件は、入学してから良い成績を取り続けることだけど、ここまで首席をキープした人は今までいないんだ」
「そうなんですか…?」
「せっかくここまで優秀なのに、どうして君は自分をそう見せないようにするんだい?」
核心を突いた言葉に胸がチクリと痛む。
さっきまではとても綺麗に見えていた薔薇が、霞んで輝きを無くしてしまったかのように見えた。
「君は、辛くないのか…?」
言葉が、反響する。
脳裏で何回も何回も理事長の言葉がぐるぐると回って、止まらなくなる。
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