哀れむ少女5 | ナノ





「―百合、あなたは」

「私の名前は、百合じゃない」

やっとのことで何とか紡ぎだした言葉を聞いた彼女は私の目を見つめながらきっぱりと、語気強く言いました。

「…それは…どういうこと…?」

「百合っていうのは私の母の名前なのよ。だから本当の私の名前は他にちゃんとあるの。
だけど、私は百合でいなくちゃいけないから…仕方ないの」

「どうしてお母さんの名前を貴方が名乗る必要があるの?お母さんと貴方は他の人間でしょ?」

―どうなのかしらね、と彼女は呟いた。

「父にとっては私が母なのよ。死んでしまった母を今でも生きていると信じててね…私が母に似てるからなのかしらね?今じゃ『百合』と名乗らないとどうなるか分からないわ」

「え…?」

彼女は一呼吸置くと手に持っていた日記を墓石の上に乗せ、口元に小さな弧を描きながら話を始めました。

「私の父と母は子供を作らない、って約束で付き合っていたの。どうしてかは私も知らないんだけどね。
…でも、現に私は存在しているでしょ?母は一七年前に私を身ごもってしまったのよ。
きっと、身体を許しあった二人は快楽に身を沈めてしまったんでしょうね。私を身ごもった母は悩んで悩んで…悩んだ末に私を産むと決断したの。その決断を知った父は母の元から逃げた。そんな約束をしていたくらいだから、当たり前と言えば当たり前よね。それで母は女手一人で私を育てることになった訳だけど、私は幸せだったわ。
本当に大変だったと思うのよ、母は両親と縁を切っていたし、お金もないでしょう?そんな状況で子供を育てるなんて。でも、母は私を愛してくれた。本当にいつも笑顔だったし、優しくて…例えれば向日葵みたいな人だった。
けれど、母はいなくなってしまったの。私が十歳の時、何の前触れもなく首を吊って自殺したのよ。訳が分からなかった。昨日まで笑顔で私を愛してくれていた人が何も喋らなくなって…冷たくて、本当に冷たくて。涙も出なかった。ただ、怖かったの。私、これからどうなるんだろう?って」

そこまで言い終えた彼女は私に微笑みかけました。
こんな話をしているのに、どうして彼女は笑っているのでしょう?私には分かりませんでした。

「でもね、母が亡くなってから一ヶ月が経って父が私のことを迎えにきたのよ。
今まで育ててやれなくてごめんな、これからはお父さんと一緒に暮らそう、って。複雑だったけど、嬉しかったと思う。一人にならなくてすむんだ…って。父は優しい人だったから、安心してたのもあるわ…最初は、ね。
私と暮らし始めてすぐの頃は子供思いの優しいお父さんだったの。でも…父が私のことを『百合』と呼んだあの日に幸せは終わってしまった。何言ってるの?私は百合なんかじゃないよ、って言ったら父は私を殴った。父は私と暮らしたかった訳じゃなくて、母にそっくりな私と暮らしたかったんだって…その時に気づいたの。
消えていた恐怖がまた押し寄せて、母の遺品を探していたら、知ってしまったのよ。
……母を殺したのは父だって。私を産んだ後に母はずっと父につけ回されていて、家も荒らされていたらしいの。徐々に行動はエスカレートして、職場にまで待ち伏せしていたって。母が亡くなる一日前の日記には『私はもう限界みたい』って書いてあった。どうして気づかなかったのかしらね。苦しんでたはずなのに、笑っていたから気付けなかった…」

こんな時、どんな言葉を掛ければいいと言うのでしょう?
貴方は何も悪くないよ、悪いのは父親じゃない…とでも言えばいいのでしょうか。

「でも、もういいの。時間は過去には戻せない。どんなに泣いたって、どんなに辛くたって、世界は無情に進んでいくの。
私一人の不幸なんて、世界全体から見たらちっぽけなものに過ぎないの。…そう思えたのも貴方のお陰なんだけどね」







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