目が醒めると、貴方が側にいる。温もりが伝わってくる。優しさと愛情を内包した掛け替えのない存在が、僕に希望に満ちた日常を与えてくれる。

価値があるだとか、価値がないだとか。
勉強が出来るだとか、出来ないだとか。
そんなものはどうでもいいのだと彼は僕に告げ、そう言った後に恥ずかしそうにそっぽを向いた。
「もう二度と言わないからちゃんと聞いておけよ」と真っ赤になった耳を手で隠しながら、彼は言葉を続ける。

「…俺が好きになったのは、愛してるのは、優等生じゃない樹だ」

ああそうか、と簡単で明瞭な事実に僕は至極納得した。彼にとっては、僕が作り上げた外面的な多田樹の存在は不愉快なものなのだと。完璧で隙のない優等生の僕は、彼にとっての僕ではない。

「だから、歪んだ仮面なんて捨てろ」

僕の横で眠りについている彼の頬に手を伸ばしながら、彼の言葉を脳裏で反芻する。
的を得た真実の言葉の数々を、僕が望む時に「樹」と名を呼んでくれた彼の声を。

本当の「僕」を捨てた僕に、貴方は愛を教えてくれた。

「……雫月」

未だに呼び慣れない名をそっと呟くと、胸の内側から煌めきを持ち合わせた感情が溢れ出した気がする。それは僕が今まで生きてきて、感じることを忘れていた感情だった。
僕が僕である為の、蔑ろにしてはならない感情だった。

「…愛してるよ、雫月。だから、僕のことを見捨てないで」

言い終わってから急に恥ずかしさがせり上がり、身体中が熱を帯びたのが分かる。普段は恥ずかしさ故に伝えることが難しい感情も、静けさに満ちた雨降る朝になら伝えることが出来る気がした。透明な雫に自らの感情を預け、真実に満ちた世界を紡ぎ出せるような感覚に陥った。
だから僕は、静寂にすっかり心を許し、油断をしてしまったのだ。

雫月は眠っているものだと信じきっていて、まさか彼が起きているだなんて考えもしなかった。

「見捨てねえよ」

耳元で囁かれた言葉に、僕の心臓は壊れてしまうのでは?という程に高鳴る。
静謐な雰囲気を纏った雨粒が窓ガラスに当たって跳ねる音と、張り裂けんばかりに音を奏でる心臓の鼓動が一体化してしまったように。

「俺が聞いていないところでは、やけに素直なんだな。…なあ、もう一度言ってみろよ。さっきの言葉」

意地悪そうな、けれども半ば嬉しそうに口角を上げながら雫月はそう僕に言った。
視線をゆっくりと上方へと向けると、僕のことを捉えて離さない聡明な瞳と目がばっちりと合う。別に視線の方向を変えなくともよかったのに、抗えない力に動かされるかのように僕の瞳は雫月のそれを捉えた。

「なんで、…起きてるんですか」

言い終わってから「しまった」と思う。
「付き合い始めてから三カ月が経つのに、未だに敬語が抜けないのはどういうことだ」と言われたばかりだということを思い出したからだ。

「まーた、敬語だ」

一ヶ月、二ヶ月、三ヶ月と、愛を伝え合ってからの月日は流れてゆく。
お互いのことを名前で呼び合う様になった。手を繋いで歩いた。…キスを、した。
それ以上の行為には、まだ至っていない。あの雨降る日に、衝動的に身体を重ね合ったのが嘘だったかのように、僕達の間には目に見えぬ躊躇いが感じられるような気がしてしまうのだ。
理性は大切なものだけれど、時に理性を疎ましく感じることがあるのも事実だ。

「……ごめん。驚いたんだよ。まさか起きてるとは思わなかったから」

「運良く起きてたお陰で愛の告白を聞けたんだけどな」

「…それは、」

恥ずかしさが迫り上がる。
本心を晒すこと、偽りの自分ではなく本当の自分でいること。価値を付与せずとも、ここに存在していいのだと思えること。囲われた枠の中ではなく、枠の外で生きていくということ。
つまりそれは、全ての決定権が僕にあるということだ。

「樹。もう一度、聞かせてくれよ。さっきの言葉」

あまりにも真剣な雫月の口調に、僕は戸惑いを隠せないと共に、恥ずかしさと何とも形容し難い気持ちがぐるぐると頭の中を旋回する。
並べられた布団の境界線に指を這わすと、ゆっくりと息を吸った。

「……あい、してる。だから、見捨てないで…」

なんて素直で、なんて滑稽なのだろう、と思う。
…いいや、違う。「滑稽なんかじゃないよ」と他者からの評価に依存することを辞めた僕≠ェ僕自身に言葉を届ける。
嘘はつくな、自分を捨ててまで生きるのはやめろ。樹は樹のままで生きている意味があるんだ、って。
…そう強く、僕に告げる。

「見捨てないで」

無意識にスルスルと口から言葉が発せられる。
これが今までずっと胸の奥にしまい込んできた本心なのだと、僕はきちんと理解している。
偽りの愛ではなく、真実の愛を受け取るために必要な心の叫びなのだと。

雫月は「よく出来ました」と小さく囁くと、優しく僕のことを引き寄せた。
人の優しさが、愛する人の温もりが、僕を僕として肯定してくれる愛しさが溢れんばかりに心に積もる。

「見捨てねえって、何回も言ったろ?」

「それでも心配なら、何度だって言ってやるよ」と言われた時、喜びの雫が頬を伝うのが分かった。




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