幸福恐怖症 | ナノ


幸福恐怖症


僕は、幸福になることが怖い。自分が幸福なのだと認めることが恐ろしくて堪らない。幸福の感情を受容することは罪のような気がする。
もう何年も、僕はこんな調子だ。孤独の夜を咽び泣き、救済者を求め、「助けて」を言おうとした。こんな僕の全てを理解してくれて「大丈夫、貴方は存在していていいんだよ」と。そっと囁いてくれるそんな日を。きっと、いや、絶対にあり得ない幻想に思いを馳せながら、漠然とした幸福を望み続けていた。

何時からこんなことになってしまったのだろう。自分の感情に素直になることが不可能になってしまったんだろうね。


「君さあ、ほんとに頑張ってるの?ほんとに努力してるの?全然そう感じないんだけど」
「本当にね。他の子はあんなに頑張ってるのに、君はこんなにも出来損ない。生きてる価値なんてないよ。恥ずかしいと思わないの?」
「……あんたの『頑張った』は嘘なのよ。分かったらもっと努力しなさい」


うるさいな。あんた達に一体何が分かるっていうんだ。自分達の価値観を正当化して、それを僕に押し付けるのはやめてくれよ。正しさは一つじゃないんだ。僕にとっての正解と、貴方達にとっての正解に齟齬が生じるのは当たり前のことだ。
そんな簡単なことを、どうして理解してくれない?
僕は、頑張ったよ。得意なことも苦手なことも、やりたいことも、やりなくないことも、全部全部。自尊心が高い性格も幸いして、僕は所謂優等生になった。勉強が出来なければ、不可視の力に殺されると思った。学校に行き続けなければ、引かれたレールから外れてしまうのは明確だった。だから、そう。

僕はただ、頑張り続けてさえいればよかったんだ。
それが臆病者の僕にとっての最善策であり、幸福への近道なのだと信じていた。


「頑張ることは当たり前でしょ」


もう、やめてくれよ。僕は君達の為に十分頑張ったじゃないか。だから、少しくらい認めてくれたっていいのに。

「『他者の為に頑張れ』なんて、一言も言ってないじゃない。私がいつそんなことを貴方に言った?まるで私が頑張ることを強要してるみたいじゃない。…やめてよ」


………ああ、うるさい。


「……そうだね。僕は僕の為に頑張ってるよ?誤解させちゃってごめんね」


静かに微笑みながら、僕は言葉を発する。大丈夫、涙はとうの昔に捨ててきたのだから。
綺麗に笑顔を繕って、いつものような優等生の顔で嘘の気持ちを紡いでゆく。
おかしいね?自分の為に頑張ってきたものが、いつのまにか大嫌いだった大人達の為のものになっていた。意気地なしの僕は、自身の意志を貫くことよりも他者の機嫌を損ねることの方が怖かった。


…うん、もうやめた。幸福を望むのはやめよう。幸福を知らなければ、不幸が孕む悲しみや苦しみを感じなくて済む。僕みたいなやつが幸せになりたいと望むのが間違いだったんだ。
夢も抱かないし希望も持たないよ、もう。しょうがないじゃないか、僕に自分の意志を遂行する力がなかったんだから。



novels








第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -