1―2 過去
私達は、バスに揺られていました。
私は過ぎ去っていく景色が徐々に自然を多く含んだものへと変化していくのを目にしながら、「遠くまで来てしまったんだな」という実感を漠然と抱いておりました。彼女の誘いを受けた私は何処へ向かうのかも知らないまま、そうしていた訳です。
着いてきてほしい所があるの、という一言に私は「うん」と言ってしまったからです。
何処へ行くの?と尋ねても彼女は口を閉ざしたままでした。
「どこへ向かってるの?」
当日になったのだから、もう答えてくれるだろう…そう思い私は彼女へと再び尋ねました。
「何処だと思う?…誰にとっても明るくはない場所ね。貴方も年に数回は訪れるでしょ、死んだ人が眠っている場所よ」
―死んだ人が眠る場所。お墓のことを指しているとすぐに分かりましたが、一体彼女はそこで何をしようとしているのでしょう。
「そこと私に何の関係があるの?」
「ふふ…疑問ばっかりね。確かに行き先も告げずにこんな所へ連れてきてしまって申し訳ないとは思っているわ。
でも、貴方を連れてきてしまいたくなってしまったのよ。…あら、もうすぐ着くみたいね」
バスが停車し、外へと一歩踏み出した私が見たものは透き通った景色でした。「透き通った」という表現は大袈裟ではありません。
本当に自然と自然が調和し合い、人工物なんてこの世に存在しないんじゃないか、というくらい綺麗な景色だったのです。
人間に邪魔をされず自分の思うがままに蔓延った草木は自然さを無くしていない自然そのものでした。緑の木々とピンクの花がお互いを認め合い、仲良く話してるかのようです。
「綺麗…」
無意識は私は呟いていました。
「そうでしょう?ここはお墓だけど、それを感じさせない綺麗さがあるのよね。多分初めてこの景色を見た人は、ここにお墓があるって分からないんじゃないかしら?緑と花のパレードが今すぐにでも始まりそうだものね、ここにいると。」
「本当に…そんな感じがする」
「綺麗すぎて怖いくらいだな、と私思うの。 ここに眠っているものとこの綺麗さのギャップがね、不吉だと思わない?」
確かに、この綺麗な木々と花がそれ相応の場所にあるのならばいいのでしょうが、仮にも死んだ人々が眠る場所にあると考えると不気味な気がします。
「ここには母のお墓があるの。びっくりした?いきなり連れて来られた場所がお墓で、しかも他人の母親の墓参りなんて。
ほら、これが、」
「あ…」
自然の荘厳さに目を配るのに夢中で、自分が随分と歩みを進めていることに気がつきませんでした。
だから、眼前にポツンと墓石が鎮座していることにも気がつかなかったのです。
「…びっくり、してるよ…。お母さんのお墓なんて…」
「でしょうね。自分で連れてきておいてそう言うのもあれだけど。ちょっと待っていて。見せたいものがあるの」
「見せたいもの?」
彼女は私の質問には答えずに、墓石の横の地面を徐に掘り始めました。突然のことだったので、私はとても動揺しました。
「ねえ、何してるの…?」
「これが見せたいものよ」
これは…日記ー?
なんと彼女が土の中から取り出したものは薄汚れた茶色のノートでした。
まさかそんなものが出てくるとは思っていなかったので、「どうして、こんなものを」と私は彼女へ尋ねずにはいられなくなりました。
「どうしてかって?これは私の日記なの。私が私であるために作った拠り所。こうやってたまにここへくるとね、日記をつけるのよ。
母の前で『私はここにいるよ』って伝えながら書くの。
ほら、懐かしい内容があるわ。
−一九九五年七月七日。今日は七夕だった。私は学校で配られた短冊にお願いごとをした。『お父さんが私のことを私って認めてくれますように』って書いたの。
でもそれを担任の先生へ見せたら『こんなこと書いたらだめだよ』って言われた。…分からない。私は私が思ったことを祈っただけなのに、どうしてだめなの?どうしてそれが許されないの?
−一九九七年六月一五日。お父さんがこの日記のことに気づいてる。もし見つかったりしたらどうなるんだろう?私のことを殴る?蹴散らす?いづれにせよ、私は日記をどこか安全な場所へ移さなきゃいけない。
私を保つ為には、日記を無くす訳にはいかないもの」
少女が書くにしては綺麗すぎるその字を見つめながら、私は彼女にどう声を掛けたらよいのか分かりませんでした。