無数の空色 滴る紫陽花

無数の空色 滴る紫陽花 | ナノ


「…千里、俺達仕事中なんだけど」


カウンターに座る常連客のお客さんにカフェラテを出すと、「ありがとう」と小さな声で囁かれる。

僕は声が出ないけれど、いつもカトルセゾンに来てくれている常連のお客さんにはオーダーされたものを出していいことになっている。
最初は嫌だった。自分の立場で考えてみると、一言も発さない店員がいたならば怒るだろう、と思ったからだ。
けれど、石田さんは「ここの常連客にそんな人はいないよ」と言う。だからその言葉を信じて、こうやって注文された品を運ぶ。


「あれっ、蒼人君のお友達?翡翠君のお友達?」


「千里」と呼ばれた男性の方を向こうとした最中、休憩を終えた石田さんが二階から降りてきて驚いたような声をあげた。
いつ見ても石田さんは如何にも優しい紳士という風貌で、どうやったらこんな風な大人になれるのだろう?と考えてしまう。


「あっ、どうも〜。真山の友人の東川千里です。すみません、忙しい時間にお邪魔しちゃって。真山が働いてるっていうのが俄かに信じられなくて覗きに来ちゃったんですけど、マジだったんですね」


呼び方が「あおぴょん」から「真山」に変わったことに「おお」と思いながら石田さんの横顔を見つめていると、ふいににっこりと微笑まれた。


「お喋りしてていいよ。ちょうどカウンター席ももう一席空いているしね。大学の先輩と話すのも楽しいと思うよ?空く時間帯になったら蒼人君もそっちにいかせるから」


(お喋りって、この人と?)


「座った座った」とカウンター席に座ることを促され、抵抗する暇もないままに千里先輩?と隣同士の席に座らされる。


「石田さんってめっちゃいい人なんだね〜。あおぴょんってあんまり自分のことについて話してくれないからあれなんだけど、石田さんのことだけはよく話してたからさ。…あ、あとひいちゃんのこともね」


彼はひとしきり言葉を述べると、「そうだった。ひいちゃん喋れないんじゃん。ごめんね、一方的に喋っちゃって。次はひいちゃんの番!何か書けるもの持ってる?」と申し訳なさそうな口調で言った。
けれどその口調は僕を特別視しているようなものではなくて、あくまで僕を普通の話し相手だと認識しているようなものだった。


『真山さんのお友達なんですか?』


すっかり使い慣れたリングノートに疑問を記し、それを人差し指でトントンと叩く。


「紹介が遅れてごめんね。さっきも言ったけど、俺は東川千里。あおぴょんと同じ経済学部の三年で、一応友達…なのかな?俺が勝手に話してるだけなのかもしれないけど、友達ってことにしておいて?」


『…せんり、ってこの漢字で合ってますか?』


僕はノートの端っこに『千里』と書くと、それをボールペンでぐるっと囲った。


「うん、そうそう。合ってるよ。
やっぱり予想してた通り真面目な子だね〜。何と言っても『ひいちゃん』って呼んでも怒らないのがいいよね。俺の友達にさ、ちゃん付けで呼ぶと怒る奴がいてさ…。せっかく可愛い呼び名なのにもったいないと思うよ」


千里先輩はとても話しやすい人だ。僕の言葉を見た上で、普通の人が口頭で会話するのと同じように会話を進めてくれる。
遠慮とか、気配りとか、考える暇もない空間を創ってくれる。


「…あれっ?ひいちゃん元気ないね?あおぴょんに虐められた?」


そして、真山さんと同様に僕の感情に敏感だ。
きっと真山さんも千里先輩も人の感情の変化に敏感な優しい人達なのだろう。
隠そうとしても、僕は自分の感情のコントロールが下手くそだから、気が付いた時には気持ちが表情に表れてしまう。


『違います、真山さんはそんなことしません。
ごめんなさい、初めて会ったのに気を遣わせてしまって』


(他人と一対一で会話するのはやっぱり難しいな…。
こんなんだから、いつまで経っても先に進めないんだろうけど)


書いた文字を見つめながら、自分の不甲斐なさを再認識する。
ほんの一欠片でいいから、僕に勇気をくれないか?って。


「ひいちゃんはさ。声が出ないから、自分に自信がないんだよね?自分に価値がないって、そう思ってるんだよね?
そこで一つ、ひいちゃんに俺の友達の話をしようかな。ん?友達の友達か」



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