見えない愛が憎い



 死ぬしかないと思った。
 選択肢は他にはなく、そうすることが最善の選択であるように思われた。
 死を悪と見なす風潮がこの世の中には蔓延っているようだけど、自分にはそれが理解できない。


 苦しみ過ぎて感情をどこかへやってしまった。
 「助けて」ということを億劫に感じるようになった。というよりも、助けを乞う気力すら死にたい気持ちに吸い取られてしまったようだ。


 「レンちゃん、レンちゃん」


 そうか。自分は「レンちゃん」なのか。
 社会的価値がない不用品ではなく、性欲処理の道具でもなく、名前を持った一人の存在だったのか。
 まだ、そんな価値を与えてるくれる人がいたなんて。


 「レンちゃん、好きだよ」


 視界がぼやけて、小さな黒い点が不明瞭な視界の中でふわふわと揺れ動いている。
 見えない。見たくない。もう見たくない。
 生きたくない。汚れたくない。空っぽの人形になりたい。
 いっそのこと人間をやめて、目を瞑っているだけでいい観賞用の人形になりたい。感情を溝に捨てて、心なんてなくなればいい。


 「ねえ、起きてよ。レンちゃん」


 頭が痛い。目が痛い。腕が痛い。足が痛い。
 全部全部全部全部壊れてしまって、まともに使えることが不可能になった自分の身体。
 身体だけじゃなくて感情も完全に壊れればいいのに。ううん、身体も感情もぐちゃぐちゃに壊れればいいよ。


 「パパはどこかに行ったよ。だから大丈夫。起きて、レンちゃん。もしパパが帰ってきても、僕がレンちゃんを守ってあげる」


 ありがとう、という気力もなかった。
 早くここから抜け出して幸せになりたい。
 苦しまなくてよくて、泣かなくていい場所に連れて行って欲しい。
 地位も名誉もいらない。親もいらない。友達もいらない。


 「…愛してほしい」


 自分が希求しているのは、一握りの愛情だけなの。
 お願いだよ、見えない愛をちょうだい?
 殴っていいし、蹴ってもいいよ。耳に穴を開けてもいいし、眼を見えなくさせてもいいよ。カッターでいっぱいいっぱい傷つけてもいい。


 死んじゃうくらい壊していいから、愛を与えて?
 そして願わくば、沢山愛してくれた後に殺してくれないかな。


 「愛なら僕があげるよ?レンちゃん。パパが何て言おうともういい。僕とレンちゃんはずっと一緒。寂しくない……ずーっと、一緒だよ」


 ここが夢なのかそうでないのかも分からない。
目に飛び込んでくる視界は赤く染まっていて気持ちが悪い。
 左腕をそっと持ち上げて、右腕に触れてみた。
 何か、じんわりと湿ったものに触れる。痛くはない。自分の価値がまた一つ無くなっただけだ。


 「ゆ、る……、して。赦して、赦して赦して……お願い、赦して、」


 赦しを乞う矛先を、自分は知らない。
 殺してほしいけど、最後に「赦してあげる」と言って欲しかった。
 死ぬ前に幸せな夢をみることぐらい、許されたっていいじゃないか。


 「……僕だけがレンちゃんのことを許してあげるね。駄目で価値のない不良品のレンちゃんのことを愛してあげる。…ほら、僕を見て」


 うん、わかった。赦してくれるなら、愛してくれるなら、最期の力を振り絞って身体を動かそう。


 「ふふ、よく出来ました」


 呼吸が上手く出来ずに息を荒げる自分を優しく抱き締めながら、彼は無邪気に言う。
 手の甲に付けられた幾重ものボディピアスを強い力で引っ張られる。


 痛い、痛くない。辛い、辛くない。
 ぽたぽたと血がシーツに垂れて、頭の中がぼんやりとしてくる。
 人間じゃないよ。だから、苦しくないよ。心はないよ。だって、そんなものとっくに捨てた筈だもの。


 「レンちゃんはいけない子だね」


 たった一人の弟が、自分の瞼に小さな口づけをした。
 いけないことだとは分かっているけれど、自分は無意識にふっと笑ってしまう。

 そうなの。いけない子なの。価値がないの。一人は寂しいの。


 「…恋、僕を見て。僕のこと、好きでしょう?」


 見えないんだけどな、と思いながら人差し指を瞼に這わせた。
 視力を失いかけている世界の最後には、美しい血の赤があった。
 僕を殺せ。殺せ、殺せ……ころせ、殺して。
 死ぬことで救われる命だってある筈だよね。そうだよね。


 「…見えない愛が憎い」


 もう死ねるのなら、なんだっていいや。



 (fin.)




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