褐色の木目調

褐色の木目調 | ナノ


美術館独特の匂いが鼻に付いて落ち着かない。四角い枠の中に嵌め込まれた絵画達は無機質な部屋の中に等間隔に飾られ、鑑賞者達の目を奪う。


「カルトセゾン」から歩いて10分程の場所に自然公園があり、その奥の目立たない場所にこじんまりとした美術館はあった。
昨日の夕方に越して来たばかりの僕は、ここ周辺に対する地理感が全くない。知らない土地を一人で歩いていると暗闇に吸い込まれそうな気がして、意識が現実から引き離されそうになる。
大学入学を機に四月に引越しをしてきた際も、そうだった。


だけれど、真山さんと歩いた新しい土地は知らない発見に満ち溢れていた。
五月晴れに映える青々とした葉桜に、そよ風に吹かれる杜若。外の世界に目を向けてみると、僕の知らなかったものが次々と目に飛び込んでくる。






「バイトに誘った時は、正直言うと断られると思ってたんだよ」


抽象画の展示されているコーナーを食い入るように見つめながら真山さんがぽつりと言った。


「俺は他人との距離の詰め方がよく分からないから、何をどう足掻いても周りから人がいなくなるような気がして。
だから、人と深く関わろうと思ったこともなかったんだけど」


そこまで言うと、彼は展示室の中央に配置してある椅子にゆっくりと腰を下ろした。
閑散とした館内には空気に僅かに混ざる「ザー」という雑音だけが木霊する。


「翡翠くんに追いかけられたあの時、生まれて始めて『誰かと関わりたい』と思った。君が持ってる言葉を聞きたいと思った」


「責務感に近い何かだったよ」と彼は続ける。


僕は真山さんと同様に円形の椅子に座ると、ポケットからリングメモを取り出した。彼と話す時は、機械ではなく自分で書いた文字で会話をしたいと考えたなりの結果だ。
「君が書いた文字を見たい」と言われた時、とても嬉しかったから。


『僕を必要としてくれる人のことを、嫌がったりしません。…僕は、自分のことを無価値だと思ってるんですよ。人見知りだし、臆病者だし、しかも話せないし。
だから、真山さんみたいな人が僕のことを気にかけてくれるのが不思議でしょうがないんです』


考えて考えた挙句、纏まりのない文章になってしまった。
他人との距離の詰め方がよく分からないのは、僕も一緒だ。


「…みたいな人ってどういうこと?」


落ち着いた低音でそう囁かれ、僕はハッとする。
「真山さんは、自分が特別視されることを嫌がってるんじゃないか」って。僕達がこうやって彼のことを「天才画家」だと決めつける度に、彼は孤独になっていくんじゃないかって。


「俺は天才なんかじゃないよ。俺には絵を描くことでしか自己表現が出来なかっただけで、寧ろ普通の人より劣ってる部分が沢山ある。
だから、『みたいな人』なんて言わないで。…普通に接してよ。気を遣われるのが、本当に嫌なんだ」


(…あの時の僕と、一緒だ。『天使の声』って言われて、色んな人から『天才だ』とか言われて…。嬉しかったけど、それが凄く重圧だった。
望まれた演技が出来なかった時のことを考えると、胸が押しつぶされそうになった)


「翡翠くんの言葉をちょうだい。俺が描いた絵に、中身を与えて欲しいんだ。
俺のことを『ウミノ』じゃなくて『真山蒼人』として接してくれる?」


発せられた願いが心に敷衍してじんわりと溶けた。
自己否定ばかりして真山さんのことを特別視ばかりしていた自分自身を叱責したくなる。

彼が求めていたのは、「普通に」接してくれる人だけだったのに。


『はい』


色んな意味を宿した「はい」を丁寧に丁寧に書いた。
僕の言葉を求めてくれる人の隣にいられることが、こうも心地いいだなんて知らなかった。


「…なんか、子犬みたい。髪の毛がふわふわしてて、瞳が丸く澄んでて、泣きそうな顔して着いてくる。
だから、ほっとけないんだ」


くしゃっと髪を撫でられ、突然の行動に僕はドキッとする。


(真山さんって、こういうことするんだ…)


理由は分からないけれど、鼓動が高鳴って恥ずかしさがせり上がってくる。子供をあやすように頭を撫でられたことへの恥ずかしさではなく、原因不明の照れ臭さだった。


「さ、帰ろうか」


火照った顔を見られるのが嫌で、下に俯きながらこくりと首を縦に振る。
僕の居場所かどうかは分からないけれど、褐色の木目調に包まれたあの空間が、今の僕がいるべき場所だから。

少なくとも誰かと一緒にいるときは、寂しさを紛らわすことができる。自分の存在を責めなくて済む。


(…うん、帰ろう)


窓ガラス越しに見える黄金色の陽だまりは、あの夢と同様に美しかった。



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