褐色の木目調

褐色の木目調 | ナノ



「翡翠、声優になったら?」


海の声が近くで聞こえる。はっきりと、鮮明に耳に声が響いてくる。
けれど不思議なことに、僕は「僕自身」と「海」を俯瞰していた。まるで、夢の中にいるかのようだ。
……もしかして、これは夢なんじゃないか?

風薫る麗かで温かな空気とぽかぽかの陽だまりは、僕達を明るく照らしている。


「…えっ、何言ってるの?海」


声のある僕が素っ頓狂な声をあげた。


「翡翠の声さ、めっちゃ綺麗じゃん。だから声優に向いてると思うんだよね」


懐かしく愛おしい海の姿が僕の一寸先で揺れて、僕は無意識的に彼に手を伸ばそうとした。

…海がすぐ側にいる!会いたくて会いたくて堪らなかった彼が触れられる距離にいる!
やっと、やっと会えた……。そう思いながら、陽だまりに手を翳す。


「…はははっ、僕が声優?この性格で?演技とか絶対無理だし、才能もないよ。考えたこともなかったよ」


僕が困ったように言うと、海はニヤリと笑った。


「そう言うと思って、先手を打っておいたんだな〜」


「…っ……、えっ?…っ…はい……?」


あと50センチ、30センチ、10センチ、…3センチ…、


………1センチ…………、


手を伸ばせば、彼に手が届く。

なのに何で?
どうして僕の手は、陽だまりに透けて海の体を通り抜けていくの?
何で僕と海は、「今の僕」の存在に気が付かずに楽しそうに笑っているの?
………ここは……本当に夢の中なの…?


『僕にも笑いかけてよ、…ねえ』


自分では話しているつもりなのに、声が音になって表れない。喉の奥の辺りに何かがつかえて音を作り出してくれない。
空気だけが口から発せられていることを認識した時、僕は愕然とした。


ああ、そっか。
…僕は喋れないんだった。


「時既に遅し!翡翠が自分からいけないのは分かってるから、オーディションに申し込んでおいたんだ」


海が、笑ってる。
狂おしい皐月の記憶を従えて、彼はもういないのに、こうやって僕を苦しめる。
黄金色に輝く僕の手の影は「ここが現実じゃなくて夢なんだよ」ということを啓示していた。


「……っ、……えええっ…?」


楽しそうな、過去の僕。いつまでも海と一緒にいられると信じていた。第一「海が死ぬ」なんて、考えたことがなかった。


『…海…僕の方を見てよ…っ…!』












(……さみしい……かなしい……くるしい……)




『…………う、み…………』













「ー翡翠くん!」


「ーひーすーいーくん!」


誰かが僕の肩を叩いている。驚いた僕はうっすらと瞳を開けると、褐色の木目調が目に映り込んできた。
まぶしすぎる木漏れ日がガラスに反射して頬を明るく照らす。


「翡翠くん、起きてる……?」


無色透明な声の存在が誰なのかということをやっとのことで理解した僕は、慌てて体をベッドから起こした。
まだ働かない頭を必死に動かして、褐色に統一された部屋をぐるりと見渡す。


「また泣いてる」


艶やかに揺れる黒の瞳は、間違いなく真山さんのものなんだけど。カラコンをしていないだけでこうも印象が違うのか、というほどに雰囲気が変わって見える。


(こっちの方がいいのになあ……どうしてカラコンなんてしてるんだろう?)


「寝ぼけてるの」


思案に耽っていると、目頭の涙を長細い指で拭われた。
彫刻かと見紛う程の整った横顔は玉響の儚さを纏っている。

僕は慌ててぶんぶんと首を左右に振ると、枕元に置きっぱなしになっていたノートに『寝ぼけてなんてないです』と書き綴る。


『ちょっと夢を見ただけです』


恐らくこの部屋に差し込む光が、海と会話を交わしたあの時とリンクしてしまったのだろう。
確かあの時も、今と同じ心地よい新緑の香りが吹き付ける五月のことだった。



[12]


Prev
Next

back
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -