……………………………
………………紅い、
……舞う、……
……ふわり、ふわり、……
………記憶の中で、ふわりと紅葉が舞う………。
脳裏にパッと浮かんだのは無邪気な春乃の笑顔だった。
膝を抱え、ガタガタと震える愚かな俺の瞳には、希望はおろか何も存在しない景色がぼんやりと映し出されている。
滲んだ景色は彩度が低く、無機質なものだった。
はるの、はるの、……
なあ、春乃……
……助けて。
助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて!!!!!!!!
真っ暗だ。光が見えない。暗闇が目の前に立ちふさがって、輝きが消える。
「……痛い、……痛いよ……父さん…っ!……うう、…俺、何が悪いの。何でなの?……痛い……っ、苦しい………っ、」
皆、俺のことを「明るくて眩しい奴」だって思ってるんだろうか?俺はそれを疑う余地もないし、俺自身がそう見せるように仕向けているのだから、仕方がない。
……不幸を認めることは、死んだも同然だ。
だから俺は、自分を不幸だと思いたくなかった。一度不幸を認めてしまえば、自分がどんなに惨めで虚しい存在かということが浮き彫りにされてしまうような気がしたから。
「しゅう……?もうお母さんは帰ってこないんだよ……悲しいけど、二度と会えないの」
まだ姉ちゃんを見上げる程俺が小さい頃。姉ちゃんがポロポロと涙を流しながら小さく呟いた。
一つ一つの言葉が意味合いを持つまでにだいぶ時間がかかった。
言葉の単なる音が正確な意味を持つまでの時間。それは、非情な事実がうねりながら心に影を落とす、ってこと。
つまり、心が絶望に支配されるということ。
「……ウソだっ!お母さんは元気だったもん!ぼくのこと、ほめてくれたもん!……ウソだ…っ、…うそだあ……っ、」
大好きだった母。
唯一無二のお母さん。笑うとくっきりえくぼが浮かび上がる、優しいお母さん。
…死ぬってどういうこと?
人は皆死ぬんでしょ?どんなに凄い人だって、最後は死んで灰になるんでしょ?そうしたら全てが終わりなの…?昨日までは普通に生きていた生身の人間が、跡形もなく消えるって。
……教えてよ。馬鹿な俺には到底理解出来ないんだ。母が自ら命を絶たなきゃいけなかった訳が。
…なあ、理解できる訳がないだろう。
母さんは何も悪いことなんてしてないじゃないか!!!!!!!!!!!!!誰よりも頑張ってたじゃないか!!!!!!!!!俺達を女手一つで、自分の時間を全部削ってまで……
「……母さん、助けて……会いたいよ……苦しい……」
胸がズキンズキンと痛むのは、父さんに肉体的暴力を振るわれたせい。
心がズキンズキンと痛むのは、父さんに精神的暴力を振るわれたせい。
あの人は賢い人だから、自らの重要性をありありと植え付けながら、俺を痛めつけるんだ。
「俺がいないとお前は生きていけないいだろ?小賢しい一人ぼっちのクソガキのくせして、威張ってんじゃねえよ。クソが」
一番言われたくない言葉をボソッと耳元で囁きながら、父さんは勢いよく俺の背中をぶった。
………ああ、苦しい。
…痛いなあ……、ズキズキする。
「……やだな、やめてよ…?父さん」
クスクス笑いながら小さく呟くと、父さんは「…気持ちわりい、さっさと消えろ」と俺のことを鋭い目つきで睨みながら言った。
俺は「じゃあ消してよ」と思いながら再び静かに笑う。その途端、父さんの目つきが嫌悪感を宿すものから恐怖感を宿すものへと変化した。
クソみたいに惨めだな、と思う。
世界は愛で出来ている、とかほざくなら…!俺にその愛を少しでも分けてくれよ。あったかい愛情と、優しい言葉を俺に与えてよ。
『助けを求めればいいの。
自分が肉親から暴力を振るわれていると、叫びを発すればいい。そうすればあなたは救われるはずだよ?』
見えない誰かが暗闇の中から俺に囁いた。
「……怖い。…俺は、消えたくない。不幸を、認めたくないんだ」
ボロボロと涙を流しながら最終的に絞り出すことができたのは、情けない一言だった。
『何で怖いの。あなたは何も悪いことをしていないでしょう?』
「……してない」
『じゃあ、今すぐに助けを求めればいいじゃないの』
「…………怖い……っ……!!!
助けを求めれば、きっと、間違いなく、今の塗り固められた町屋秋は消え去るだろう。
俺は「幸せ」という言葉に雁字搦めに縛られて、そして、それに固執している。
不幸だということをはっきりと認識してしまったら、二度と太陽にはなれない。
だから俺は、どんなに辛くても現実を認めてこなかった。
「……はる、の。ごめんな」
俺、本当は春乃を明るく照らせる太陽じゃないんだよ。
暗くて惨めで、可哀相な姿が本当の俺なんだ。
春乃はそのことを知ったら、俺から離れていくのかな?
…それは、やだなあ…。
俺はまだ春乃と一緒にいたいから、もう少しの間現実から目を離させて欲しいんだ。お願いだからさ。
目を瞑る。
……大丈夫。記憶の中の春乃と出会った日の紅葉は、まだ美しいままだ。
だから、きっと大丈夫。
(fin.)
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