無彩色の桜

無彩色の桜 | ナノ



「無視かよ、感じ悪いな」


はっきりと聞こえる舌打ちと共に怒りの言葉をぶつけられたのは、入学式の次の日のことだった。
これだけは弁解しておきたい。僕に悪意なんてこれっぽっちもなかったんだってこと。大学生活を出来るだけ平穏に平和に、静かに過ごしていくのが僕の望みなんだってこと。

学科別のオリエンテーションが二時間程行われた後、僕は両手が一杯になるくらいの大量の資料をふらふらとした足取りをしながら両脇に抱え込んでいた。学内施設の利用方法や時間割の組み方、単位の説明…と、とにかく沢山の重要なことを説明された後だったので、頭の中で色々なことでごちゃごちゃになっていた。


「あ、一年生だ。超ふらついてるけど大丈夫?」


突然ジャケットの袖口をぐいっと引っ張られた僕は、条件反射的に体を小さくビクッと震わせた。


「そんなに怯えないでよー、俺ら何もしてないじゃんー」


人を見た目で判断してはいけないと思う。だけど、高校時代までは周りにいなかったタイプの人間がいざ目の前に現れると、正直怖い。関わらないようにしてきたというのも勿論あるけど、海がそういう僕が怖がるような人達を寄せ付けなくしてくれていたんだということを僕は思い出していた。


「君さ、サークルは決めた?良かったら俺らと部室来ない?」


金髪に近い茶髪の男がそう言う。
「無理です」だとか「時間がない」だとか、脳裏に思い浮かんだ言葉は沢山あった。海が僕の隣に駆け寄ってきて、「嫌がってるでしょ」と言ってくれないことも分かっていた。何よりも僕は、そんな他力本願な自分自身が一番嫌だった。


「…なあ、無視?」


冷徹な言葉が頭上から降って落とされる。
「無視じゃない」と音のない言葉が頭の中をぐるぐると駆け巡ると共に、冷や汗が掌にじんわりと滲み出す。


「…無視かよ、感じ悪いな」


袖口を強い力で引っ張られると、明らかに機嫌の悪そうな顔付きをしながら顔を覗き込まれる。

(何か、言わなくちゃ…。どうしよう、怖い…)


「一年の癖に調子乗ってんじゃねーの?気弱そうな顔して無視しやがって。マジうぜーわ」


もう一人の男が笑いながら「やめろよー。怯えて泣いちゃうかもしれねーじゃん」と茶髪男の肩を叩きながら言うのが目に入った。


「これで泣いたら俺らがサイテーな先輩みたいじゃねーかー」


ギャハハハ、と大声で笑う声が聞こえる。


(…離して、近づかないで、僕に構わないで…早く何処かへ行って…)


こんな時声が聞こえ出せたならばどんなに良かっただろう?と思う。実際問題話せた所ではっきりと言い返せるような度胸なんて持ち合わせてはいないけど、話せないよりはずっといい。小さくて聞き取れないような「嫌です」だって、言わないよりはずっとましだ。




「………ねえ、嫌がってるよ」


…透明な声だ、と僕は思った。声優の仕事をしていても聞いたことのない凛と透き通った…、いや、違う。…何の色にも染まらない無色透明な、そんな声……

左方向から聞こえてきた透明な声に導かれるようにして、僕は視線をそちら側に向けた。決して大きな声ではなかったのに、その声は耳に残って永遠に忘れない不思議な力を兼ね備えていた。


「騒ぎになる前に、さっさと止めたら?上級生が新入生を虐めてるってさ」


視界に飛び込んできたのは誰よりも人目を引く男性の姿。今まで出来ったことのない、これからも出会うことのない、自分だけの色を持った美しい人間の姿だった。
今考えると僕が上級生に絡まれることがなければ、彼と出会うこともなかったのだと思う。


…きっとこれは、運命だったんだ。


[7]


Prev
Next

back
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -