無彩色の桜

無彩色の桜 | ナノ


(…おはよう)


木漏れ日を肌に感じながら、心の中で朝の挨拶をする。
六畳の小さな部屋にぽつんと佇んでいる状況に慣れる日は来るのかな?いつまでも悲しいままなのかな?と考えていたら虚しさが更に募る。

換気をする為に窓を開け、顔を洗ってからテレビをつける。実家にいる時はテレビなんて殆ど見なかったのに、一人暮らしになった途端に音が恋しくなった。自分では音を紡げないから、誰かが発する音を求めているんだろうか。

常に寂しくて悲しくて泣きたい気持ちに支配されていて、体がふわふわ浮いているような気がする。目をしっかり開けていても、入ってくる景色が臨場感を欠いている。

…これが、彼のいない世界の有り様だ。


「ー続いては、新作アニメの話題です。四年前に一斉を風靡したあのアニメの新作映像が入って参りました!うわ〜俺このアニメ大好きだったんですよね。何と言っても主人公を支える謎の少女!あの声は一度聞いてしまったら虜になりますよね」


コメンテーターが興奮したようにまくし立て、僕の視線はそちらへ釘付けになる。


「そうですね〜。でも少女の声を演じてらっしゃった紗希さんは、現在休業中ですから…」


「…ああっ、そうでしたね!はあ……早く帰ってきて欲しいものです…。紗希海葉さんの声は、誰をも魅了する素晴らしい声ですから…」


…誰をも魅了する素晴らしい声、か。
ありがたい言葉だけど、今の僕にとっては絶望を増長させる要素でしかない。


(紗希海葉はもういないんだ)


僕は珈琲を手に取ると、ゆっくりとそれを口元に運んだ。湯気と共に香ばしい匂いが鼻を掠め、口内に独特の苦味が広がる。


「ーさて、次は現役大学生画家『ウミノ』さんの…」


テレビのリモコンを操作し、電源ボタンを震える指で押した。音のない世界は寂しくて耐えられないけれど、音のある世界もまた煩わしいものを沢山含んでいる。

いずれにせよ、僕の居場所はどこにもない。














桜色の花びらは春の訪れを知らせてくれる。ふわりと舞うピンク色がひらひらと風に煽られては地面に落ちていく。今年は桜の開花が遅かったせいでまだ三分咲き程度だけど、もう一週間もしたら満開の美しい桜が街中を彩るだろう。


『…綺麗』


この景色が素晴らしいものなのは僕にも分かる。空の色と対照的な桃色が立派な桜並木を作り上げていて、道行く人々の視線を次々と集めているんだから。
体に馴染まない新品のスーツに身を包んだ僕は、「窮屈だなあ」と思いながらガヤガヤと騒がしい校門を潜り抜けた。


(…う、わ…凄い人……)


まさに黒山の人だかり、だった。門を入ってすぐに現れる一直線の大きな道に沿ってロープが張り巡らされていて、恐らく上級生?達が大声を張り上げている。


「あっ、そこの君!テニスサークルに興味ない?」
「アニメ同好会なんですけど…」
「写真サークルはどうですか?」


ロープで作られた道を避けていこうと右方向へとずれたのに、スーツを着ているせいなのかびっくりする勢いでサークル勧誘の嵐がやって来た。

喋れない僕は表情で感情を伝えるか、首を振って意思を表示することしか出来ない。無言のまま無視をしたら、凄い感じの悪いやつだって怒られそうだし…。
入学早々目をつけられるのは避けたい。

頭を小さく下げ続けながらやっとのことで勧誘を振り切ると、僕は小さなため息をついた。
恐らく他人には有彩色に見えている桜が、僕の瞳には色彩を欠いた無彩色に映って見える。


(…もし、海も一緒だったなら…?)


叶わぬ願いを無理やり胸の奥底にしまい込むと、涙が零れないように掌をぎゅっと握り締めた。


[6]


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