音のない青

音のない青 | ナノ




「あ〜〜〜!!!今から超緊張してきた…!!!失敗したらやべえしプロへの道が遠くなる…」


短く跳ね上がった髪を掻きむしりながら海が小声で話す。
本当は大きな声で話したいんだろうけど、生憎ここは飛行機の中だがら、そうはいかない。

彼が緊張しているのが纏っている雰囲気からひしひしと感じられて、僕の方が冷や汗をかいてきてしまった。
緊張とは無縁に思える海がここまで張り詰めるということは、彼がサーフィンに賭ける思いがそれ程深いということ。

「大丈夫だって。この為にどれだけ練習してきたと思ってるの?体が限界になるまで頑張ったんだから、絶対に平気だよ」


海が身を粉にして大会の為に努力してきたことは、僕が何よりも知っている。恐らく、海のお母さんよりも熟知していると思う。
上達しなくて涙をぼろぼろ流したことも、泣きながら僕に電話をしてきたことも。
普段の彼は如何にも頼り甲斐のある皆のムードメーカーだから、弱みを外に晒したりしない。というより、僕は彼が泣くのを、見たことがなかった。

…ついこの間、苦しげに涙を流しながら電話をしてくるまでは。

急いで海の自宅に駆けつけた僕は、薄暗い部屋で独りなきじゃくる彼と遭遇した訳なんだけれど。


「大丈夫だから。…ね?」


気の利いた台詞の一つも出て来やしない自分自身に、無性に腹が立った。

「海が頑張ってるの、ちゃんと分かってるからね」とか、「心配する必要なんてないよ」とか、喉元まで出かかった言葉は幾つかあった。
けれど、僕はそれらの言葉を紡ぐのをやめた。
そんな安っぽい気休めの言葉は、海には不釣り合いだと感じたから。
仮初めの気持ちを伝えるくらいならば、何も述べずに彼の側にいた方がいい。

ぽんぽん、と優しく丁寧に海彼の背中を叩きながら、僕は静かに微笑んだ。そして、「分かってるよ」と囁いた。









「もし今回の大会が駄目だったとしてもプロになれないって決まった訳じゃないし、そんなに気負う必要ないよ」


小さな窓から覗くふわふわの雲は、真夏の太陽に照らされて嬉しそうに空を彩っている。澄み渡る青空に蔓延る純白の入道雲は、絵の具で彩色したような色合いだった。


「心配なもんは心配なんだよ〜〜もし翡翠がいなかったら、発狂してたかも。ほら、触ってみてよ?俺の心臓のバクバクやばくない?」


海は僕の手首を掴むと、自身の胸に僕の掌を近付ける。突然の行動に驚いたけれど、それよりも彼の心拍数の激しさに僕は驚きを隠せない。

鞄に隠し持ったままのお守りを今こそ渡さなくては…と僕は左手をギュッと握り締めた。
大会で怪我をしないように、努力が報われるようにと願いを込めてお守りを買っておいた。なのに渡すタイミングを図りかねてしまって、結局遠征の日になってしまった。
海のイメージにぴったりな青色のお守りは、リュックのポケットにしまわれたままだ。


「…あのね、海」


「渡したいものがあるんだ」と続けようとした途端、凄まじい衝撃が体を襲った。上方から下方へと振り落とされたことによって、頭を座席にぶつけそうになる。重力の低下によって不快な浮遊感が襲ってきて、思わず海の両手を握り締めた。


…一体何が起きてるの?
怖い、怖いよ…


「な、に?…えっ、え?」


パニックに陥る乗客達の悲鳴と、急降下していく大きな機体。「頭を下げて!」と叫ぶ乗務員の切実な声が、耳を掠めていく。
恐怖の感情だけが、心に浮かんで僕を支配する。


「…なに、が起きてるの?…ねえ、怖いよ…!」


「落ち着け翡翠…!大丈夫だから、大丈夫だ」


つい先程までは僕が海を慰めていたというのに、一瞬にして立場が逆転してしまった。とにかく怖くて恐ろしくて、一刻も早くこの空間から逃げ出したくて、僕は海に抱きついた。


「ーこわい、よ」


窓から最後に見えたのは、迫り来る真っ青な夏の海。
憎いことに僕等が振り落とされた空も、投げ出された海も、両方鮮やかな青だった。

海が愛する色だった。


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