音のない青

音のない青 | ナノ


初めて海と出会ったのは六歳の夏のことだった。
今振り返ってみると、彼は幼いながらに僕のヒーローだった。同い年なのに、海は僕にとって立派な存在だったんだ。


「ぼくはささきうみ!君の名前は?」


差し出された小さな子供の手を、僕は絶対に忘れない。忘れることができないし、忘れてはいけない。

隣の家に越してきた僕と海は、大人達が心配する暇もなく直ぐに仲良くなった。
「翡翠には海がついていないと駄目だし、海には翡翠がついていないと駄目ね」と言われるくらいに。

友達を作ることが苦手だった僕は、小学校でも一人で俯いていることが多かった。
けれど海が僕の世界に現れてからは、僕は一人ではなくなった。


「……あかみ、ひすい」


「よろしくね」の一言も紡ぐことが出来なかったのに、海は屈託のない笑みを浮かべながら「ひすい!よろしくな!」と言ったんだ。


あの日から僕達は毎日一緒にいた。
海が僕の家に迎えに来て、話しながら学校に行って。帰ったら日が暮れるまで遊んで。
お互いの家に泊まることも日常茶飯事で、電気の消された真っ暗な部屋で海と小声で話すのが楽しくて仕方なかった。彼と共に過ごす時は、何をしていても笑顔の絶えない空間に包まれていた。






『……うみ』


案の定、僕の口からは小さな息しか漏れ出さない。
海が消えてしまってから、「声優の僕」も姿を消した。声帯は震えず、音を紡ぎ出すことを忘れてしまった。


喋りたいんだよ。声を、出したいんだよ。
だって無価値じゃないか。
声のない僕に何の価値があるっていうの?死んだ方がよかったに決まってる。
冷たい海に落ちたあの時、どうして死ねなかったんだろう。何故僕だけが助かって、皆から必要とされる彼が命を落としたのだろう。







高校一年の夏休み。なかったことになればいい、忌まわしき日。

海は大会に出場する為に遠征をすることになり、僕はその付き添いで彼に着いていくことになった。本当のことを言うと、海と離れることが耐えられなかった。

プロのサーファーになるという夢を叶える為、海は日々邁進していた。
名は体を表すとよく言うけれど、海の場合それが顕著に表象されていた。
「海」という名の通り限りなく広がる海の波に乗って、不安定な世界に揺蕩う。
僕は「サーフィンの何が楽しいの?」と幾度となく尋ねたことがある。
そして、決まって彼は言うんだ。
「理由なんてないけど、サーフィンは俺にとって生きる理由なんだよ」って。

僕にとって声が存在理由なのと同様に、彼にとっては海が唯一無二の宝だったのだろう。

青に揺られる海は、あまりに綺麗すぎて目を離すことが不可能だった。
水面に散りばめられたら光が彼にキラキラと反射して、幽玄の美を醸し出していた。



……ああ、神様。
純粋で優しい僕のヒーローを、どうして奪ったんですか。
僕が貴方の逆鱗に触れるようなことを、してしまったのでしょうか。
それとも、神様なんて最初から存在していなかったのでしょうか。

僕が生きる世界は思っている以上に凄絶で、惨い出来事の集まりなのですか?


『…どうして?』


無音を吐き出した所で、反響するものは何もない。
そう、何もないんだ。
僕が生きてきた意味も、これからの未来を歩む意味も。


[3]


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