桜を踏みしめる


「俺を悪者にするのやめろよ。言っとくけど、好待遇はしてても酷い待遇は一回もしてねえからな」

「えー、ほんと?」

樹に絡めた腕を更に密着させながら、花宮が俺の瞳に視線を合わせる。
瞳孔の中に煌めく星屑はいつ見ても濁りのない輝きを放っていて、神秘的な美しさに満ちあふれている。

「…大丈夫。毎日楽しいよ。雫月の言う通り、酷い扱いなんて受けたことないから」

タメ口もそうだが、樹が「雫月」と呼ぶ度に胸の奥底が疼くような感覚に陥る。
それを悟られないように表情を変えないように努めているが、我ながらアホみたいだと思う。

付き合いたてのカップルのようで気恥ずかしい…ってか、付き合いたてなんだけどさ。

花宮の家に身を置いていた樹は「一人暮らしをする」と言っていたのだが、俺が引き止めた。母親とのことがあったばかりで実家で暮らすのは無理難題だろうし、俺もこれ以上樹に苦しい思いをして欲しくなかった。
愛情を振り切ったということは、樹と母親の関係性が振りだしに戻ったということ。いや、20年間積み上げてきたものがある分、まっさらな状態に至ることも困難だろう。断ち切られた親子関係が、修復されるのは容易ではない。

樹は「もういいんだ」と言っていた。「母親に愛されなくても僕は僕だから、もういいんだよ」と。

俺はその言葉を素直に受け止めて「何もかも解決して良かったな」と言うことは出来ない。良かったな、の一言では済まされない歪で複雑な問題が、樹の心に傷を残したままだと思うから。

「雨谷くーん!多田くーん!翔くーん!」

大勢の足音と共に蓮華先輩の声が後ろから聞こえてきて、俺は後ろをくるりと向く。

宙に投げ出された花びらが幾重にも交差して、暖色の世界を創造していく。
春の香りを含んだ空気は優しく頬を撫でた。

「桜、ついてる」

樹の髪についていた花びらをそっと払うと、刹那にして真っ白な頬が林檎のような朱色に染まった。
ここ最近の樹は目に見えて感情が表にありありと出るから、見ているこっちが恥ずかしくなる。

多分いい変化なんだろうけど、俺としては気が気でない。優等生オーラを払拭した樹はフェロモンがダダ漏れで、悪い虫が集ってくる要素しかない。
こんなことを考えてると独占欲の塊のようで、本当は嫌なんだけどさ。

「顔が真っ赤だけど、どうしたんだい?多田君」

歩きながら本を読んでいる(相変わらず変人の)村本が新入生を引き連れてこちらにやって来る。

「君達があまりに人目を引くから。…ほら、あそこに歩いてる子も雨谷君達のことを見てる」

村本が指差した方向に顔を向けると、小柄で顔つきも中性的な新入生と思しき男性が俺達を見つめていた。
彼は俺の視線に気がつくと、怯えたように一瞬で顔を逸らす。別に悪いことをしていた訳じゃないんだから、堂々としていればいいのに。

柔らかそうな髪の毛といい、たれ目といい、子犬を彷彿とさせる。

「目立つ要因は俺じゃなくてこの双子だからな」

「いやいや、雨谷君も充分人の目を引きつける容姿だと思うよ。
…多田君とお似合いのカップルで羨ましい限りだ」

周りに聞こえない小さな声で囁かれ、内容を認識した瞬間に鼓動が高鳴る。
スルーしかけたけど、多田とつき合っていることを何故村本が知ってるんだ?

「どうして知ってるかって?
そんなの、君達二人の表情を見れば一目瞭然だよ。ま、末永くお幸せにね」

村本は樹に何かを耳打ちしたかと思うと、ニヤリと口角を上げた。
その途端、樹の頬が再び真っ赤に染まる。

俺は桜の花びらを踏みしめると、静かにため息をついた。

「…前途多難だな、こりゃ」


(fin.)


[3]



雫月達を見つめている少年は、次回作への伏線だったりします…。

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