私と僕【I and I】




ブランコに翔と二人揺られながら、今し方起こったことを思い描く。
複雑で、めちゃくちゃな家族関係の渦中にいる自分を哀れだとは思わなかった。
寧ろ、見えないように隠されてきた真実を知れてよかったとさえ感じている自分がいた。

「覚えてる?…公園で遊んだ日のこと」  

「覚えてるよ。樹は俺がどんなに誘っても一緒に遊んでくれなかった。それが凄く寂しくて、つい子供ながらに酷いことを言っちゃったんだ」

「翔と一緒に遊んだら、自分の不甲斐なさが浮き彫りになるみたいで怖かったんだ…。勇気がなくて、ここから動けなかった。錆び付いたブランコにひたすら座って手を伸ばすことしかできなかった」

朧気だった記憶は、今や大切な記憶へと変化して私の一部になっていた。

「…俺のバンドのLicht Regenって名前さ、雨の光って意味なんだけど…。記憶の中の雨から取ったんだ。小さい俺が降りしきる雨をひたすら見つめて、まるでそれが空から落ちてくる雨の光みたいに見えた。
やっと分かったよ。あの記憶は俺のものじゃなくて、樹の記憶だったんだな。自分を外から俯瞰するような感覚があったのは、あれが俺の記憶じゃなかったからなんだな」

翔は勢いよくブランコから立ち上がると、「やっと合点が言ったよ」と苦笑しながら言った。

「ほんっと、俺達の人生って波乱万丈だよな。大人達に振り回されて、引き離されて、挙げ句の果てに樹は母親から精神的な虐待を受けるわ…笑えないくらいめちゃめちゃだ」

…それでも私は、母のことを厭悪することができない。
どんなに母が醜い存在でも、憎しみの感情を抱こうとは思わなかった。

きっとそれは、「歪な愛は正常な愛で塗り固めることができる」と雨谷が教えてくれたからなのだろう。淀んだ心に綺麗な雨粒を落としていってくれたからなのだろう。

夏合宿のあの日、心の中を覗き込まれて水色の雫に侵食された。とても、恐ろしかった。雨粒に隠された叫びを溶かされて、助けて欲しい思いが溢れそうになった。

学園祭の時、泣けなくなっていた筈の瞳からポロポロと涙が溢れて、「愛して」と無意識に発してしまった。彼は、「愛されなくてもいい」とはっきりと私に言った。

そして、雨降る夜に泣きながら彼に助けを求めたこと。
自分の存在を誰かから肯定されたくて、愛されているという充足感に浸りたくて、心が押しつぶされそうになった。

彼は私が望む時に、樹と名を呼んでくれた。

「…翔にとって、雨谷君はどんな存在?」

「雫月?…うーん、なんだろう…。俺達にとって、必要不可欠な存在かな。雫月がいなかったら、俺達は永遠に出会えないままだったし。…樹は知らないだろうけどさ、めっちゃ心配してたよ、雫月。行方不明だって心配させたくなかったから、メールを送ったんだ」

頭の中に、雨谷の姿が浮かぶ。
会いたい。彼の姿を見たい。僕のことを救おうとしてくれてありがとう、と面と向かって言わなくちゃ。

「…雨谷君のことが、大切なんだ。でも、これを恋愛感情で括るのは間違いな気がして…。好きよりももっと重たいものを彼に課してるような、そんな…」

この感情を、単純な恋愛感情になぞらえていいのだろうか。

「…重たくても、いいじゃん。喜怒哀楽の感情を全部共有して、自分の汚いところも全部曝け出して…。そういうことを出来ることが、きっと好きってことなんだよ」

翔は私の両手を取りながら泣き笑いをする。
両手を壊れものに触れるかのような優しく丁寧に包まれ、柔らかな皮膚の感触が伝わってくる。

「…ねえ、樹。もう幸せになってよ。…十分苦しんだでしょ。雫月に自分の想いをちゃんと伝えて…。樹の人生は、樹のものなんだから」

「……けど」

「けど、なんて言わないの!樹には幸せになる資格があるんだから」

翔の目尻から一筋の涙が零れた。それはキラキラと眩しくて、まるで星屑のようだった。

「お願い、幸せになって」

言葉が心に染み込んで、黒く固まっていた最後のパーツが静かに溶けた。
愛を求める側から、愛を与えられる側になることができる世界があったんだ、と思うと心が透明に滲んでいく気がした。

「…うん」

元ある色を取り戻した心は、じんわりと温かな熱を身体中に運ぶ。
…僕は、前に進まなければいけない。幸せになるために、母を克服しなきゃいけない。

―どうか、愛情を振り切る勇気を…僕に。 



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