喪失―終わりの始まり―



何かが変だ、と思った。



僕はすぐに気づく。
いつもいるはずの「彼」がいないことに。それが僕の心に空いた埋まらない穴だということに。
静寂に包まれた空間は、それを誇張しているかのようだ。


「お目覚めですか」


柔和な笑みをたたえながら入ってきた彼を見てさまざまな記憶が蘇る…。


「どうですか。その髪型は…お気に召しましたか?」


「……変じゃない?」


世界を見たくなくて、見るのが怖くて、今まで避けてきたものを受け入れたのは…僕。


「よく似合っていますよ」


「そう…ならよかった」



「目覚めてすぐで申し訳ないのですが、少し話をさせていただいてもよろしいでしょうか?」


「…何の?」


「色々なことがあったばかりで貴方もとても混乱していると思います…しかし、私達にはやらなければならないことがあるのです。
パンドラが動き出すよりも先に。」


「…それは僕も考えてた。これからどうすべきなのか」


「そうですか。では早速。
昨日フィアナの家の話については少し触れましたね。フィアナの家はチェインの研究施設であったと。
そしてナイトレイ公爵とイラス=ユラが手を組んでいた…」


昨日は気が動転しているのに追い討ちをかけるようにこの話を聞いたものだから、まさか、と思った。


唯一僕が居場所を見つけられた場所なのに…。

そして、エリオット。君と出会った忘れられない場所…。


「じゃあ…フィリップもヘレンも皆騙されてたのか…?皆を違法契約者にして…あいつ、イラス=ユラは…」


「イラス=ユラも、ナイトレイ公も…両方クズだ。実の息子を見殺しにする親がどこにいるというのです?」


ヴィンセントは吐き捨てるように言った。怒りと憎しみを激しく感じさせるその口調は、僕の気持ちを煽りたてる。
ヴィンセントはふと我に返ったように視線を僕に向けた。


「失礼しました…このような無礼をお許し下さい。
それよりも、グレン=バスカヴィルの話をしなくてはなりません。貴方に一番関わることですから。」


「頭が全然ついていかないんだけどさ、とりあえずその『貴方』っていうのはやめてくれない?」


ヴィンセントは困ったように瞳を動かす。


「では、どのようにお呼びすれば?」


「それは君の好きに呼んでよ」


視線が真っ直ぐに僕に向けられる。


「では…ご主人様。私のことも何と呼んでいただいても構いませんよ?」


「……じゃあ、ヴィンセント。話を進めて。」


「…グレン=バスカヴィルは百年前のバスカヴィル家の当主にしてバスカヴィルの民に君臨する絶大な力を持っていました。
『バスカヴィルの当主は人にあらず』…よくそう言われていたそうですよ。
最も、グレン=バスカヴィルは五体のチェインと契約を結んでいたのですからね。」


「五体…?」

思わず言葉が口を突いてでる。


「鷹獅子、鴉、梟、愚鳩、黒竜。黒き羽を持ったチェインは全てグレン=バスカヴィルによって所有されていたものでした。」


「…でも…今そのチェインは他の人が所有してるんじゃ?」


そう―。

エリオットが前に言っていた。
黒い羽を持つ四体のチェインは既に他の人が所有していると。


「一つだけ、望みがあるのですよ。―ジャバウォック―そのチェインだけは誰も契約を交わしていません。
強力なチェインですからうかつに契約など出来ないのでしょう…。
でも、グレン=バスカヴィルの魂を継いでいれば話は別です。ご主人様、貴方なら契約できるはずですよ…?」


唐突に言われた言葉に僕は戸惑った。-それを悟ったのだろう。ヴィンセントが話を切り替える。


「…大丈夫ですよ。心配しなくともすぐに分かるはずです。それにまず、バスカヴィルの民に会わなければなりませんね。」


バスカヴィルの民。
かつてサブリエの悲劇で大虐殺を行ったという、僕からは遠い存在だと思っていた彼ら―。



「俺の手で断罪する!」



そう言っていたエリオットが今の僕を知ったらきっと怒るんだろうな。


「僕は…僕とエリオットはバスカヴィルの奴らに襲われたことさえあるんだ?そんな奴らが僕を受け入れると思う?」


「彼らにとってグレン=バスカヴィルは絶対的な存在です。
ご主人様がグレン=バスカヴィルの魂を継ぐものだと知れば誰一人逆らうものはいないでしょう。」


「へぇ…そんなもんなのかな」



「彼らの目的をご存知ですか?それはただ一つです。
『アヴィスの意志の破壊』―
あのアヴィスの意志の存在がアヴィスの空間を狂わせたのです。僕らはアヴィスを元の正しい状態に戻そうとしているに
すぎません。アヴィスの意志の存在があったからこそ、結果的にグレン=バスカヴィルの魂をご主人様が受け継ぐことになったのですからね…」


「そして僕がエリオットを…」


ここまでいいかけて僕は言葉を止めた。



そうか―
あの時とは、違うんだ。
僕はエリオットの従者でも「リーオ」でもない。

彼をこの世界から消し去ってしまったことを許してもらおうなんて決して思わないだろう
…今も、そしてこれからも。

ただ、今までに感じたことのないくらいの憎しみに塗れた感情が心の中に激しく渦を巻いている。


アヴィスの意志―


僕の存在意義があるとすればそれはアヴィスの意志の破壊?
全ての元凶である彼女を…。

僕は手に入れる…!


それが『グレン』の責務ならばくだらない僕自身の感情は破り捨てて胸のなかにしまおう。


「ヴィンセント。バスカヴィルの民に会いにいくよ。」


ヴィンセントが僕のほうをみて楽しげにふっと微笑む。
それに乗じるように小さく頬笑むと、僕は黄金の視界を一瞥してから部屋を立ち去った。



誰もいなくなった部屋に、悲しげに風が吹いた。




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