自己存在【true】





「…やだ…っ、…こわい…っ…!」 

夏合宿の時と同様に、相手に降りかかる痛みなど皆目考えずに、ありったけの力を使って雨谷のことを突き放した。

嫌いだから、拒絶しているのではなくて…。
これ以上自分をさらけ出すのがあまりに恐怖で、無意識に体が動いてしまった。

―コロン…

自分がしてしまったことに後悔の念が沸々と浮かんできた最中、胸ポケットにしまい込まれていたビー玉が床に転がり落ちる音がする。

母がいつも読んでくれた『あめのしずく』という絵本。その声色はとても優しくて、私を優しく包み込んでくれた。
絵本の中の雨に彩られた綺麗な世界も、現実の世界に降る透明な雨も大好きだった。とりわけ、母に買って貰ったビー玉越しに見る雨の世界が何よりも好きだった。
けれど、雨色の輝きは気がつくと失われてしまっていた。

「…ビー玉?」

雨谷の掌に重量を授けるビー玉を見つめながら、「これはこの人が持つべきものだ」という思いを抱く。
私なんかが持っているよりも、雨谷に持っていて貰う方が本来の輝きを取り戻せるんじゃないだろうか…。
雨谷なら、消失してしまったキラキラ輝くビー玉の世界を紡ぎ出すことが出来るんじゃないだろうか。

「…おい、これ」

もう、私には見ることが出来ないから。ビー玉を翳してみても、目に飛び込んでくるのは灰色の陰った景色だけなんだよ。

あの頃の純粋な自分には、どう足掻いたって戻れない。

「…っ、…こんなもの、いらない…!」

記憶にこびりついた優しい母の声色と、ビー玉を買って貰った日の情景が涙を激しく溢れさせる。

「…っ、…おい!」

二度と美しい雨を見ることは出来ない。ならせめて、悲しみに溺れて泣き叫ぶことくらい許して欲しい。

ひんやりと冷たいビー玉の感触が、雨谷の掌を介して腰に伝わる。

「…うぅ…っ…、ぅ、…っ、…助けて…、名前、…呼んで…僕のこと、…」

助けて、助けて…。助けて。
名前を呼んで、優しく抱きしめて、存在価値があると言って欲しい。
もうこれ以上、嘘をつきたくないんだ。嘘塗れの自分で、綺麗なものが見えなくなっていくのは嫌なんだ。

「…樹」

本当の愛というものを知らなかった私は、生まれて初めてそれがどのようなものなのかを悟った。
苦しくて切なくて優しい――色々な表情を持った感情が、愛なのだということを。

「…僕を、…っ…僕を肯定して…お願い、嫌いにならないで…!」

優しく抱き締められながら、傷跡に痛みが伴うキスをされる。
己の性器が快感に晒されていて、熱を帯びた中心からは透明の液体が流れ落ちていた。  

「……勃ってる」

理解している事実を口に出して言われ、淫らに反応してしまっている部位が更に疼く。

「…っ、こわ……い……」

「…なんで?…何もかも忘れるくらい、快楽に溺れさせてやるのに」

快楽に溺れた後に襲ってくる代償が怖いから、なんて言える訳がない。
一夜限りの幻の関係は、もう二度と繋がることがないかもしれない。
もしもこの雨降る夜が終わってしまったら、永遠に雨谷と繋がれないかもしれない。

私が雨谷に抱いている感情の名前は色々な感情がごちゃ混ぜになりすぎて一つの名前をつけることが困難だけれど、これだけは明解だ。
―雨谷のことが、大切だということは。

「怖くない。…今は快感に身を任せて、それに溺れちまえ。苦しみなんて、全部忘れろ。…な、樹?」

肯定の意志を示すより前に、激しいキスと愛撫を繰り返される。先走りを零す性器を口に含まれた時、思わず全身が逆立った。

「き…、汚いから…!…やめて…っ……」

怖くて、寂しくて、心がドロドロに溶ける。
好きとか嫌いとかじゃない。それよりももっと深いもの、掴んだら二度と離されない繋がりが欲しい。

「汚くねえよ。全部、綺麗だ」

「…や……だ…っ、…出したい…ねえ、っ……」

「…いいよ、出して」

ぬめる舌先で中心を舐め取られ、全身に激しい電流が走った。

「んっ……ぅ、……は……ぁ…」

甘い口付けに安心しきった私は、快楽に身を任せ切ってしまう。
刹那、熱い塊が体の外に放出されるのを感じ、息が詰まる。

「…雨…谷…、くん」

冷たい涙が、掌にポツンと落ちた。



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