disappear【消失】




「千里…おっせえな…」

「テスト終了記念」と称して千里から「会わない?」と誘いがあったのはつい昨日のこと。バイトも入っておらず特にやることのなかった俺は、パーッと弾けるのも悪くねえかな…。少しは多田のことを忘れられるかもしれない、と思い千里に承諾の返事をした。

待ち合わせ場所に指定されたお店は、俺がいつぞや花宮に介抱された例の飲み屋だった。別にそれはいいんだけど、多田と花宮のことを考えたくないから飲もうと意気込んできたのに…。これじゃ彼らのことを考えざるを得ないじゃないか、と小さな溜め息が漏れる。

店の席で千里を待ちながらジャケットのポケットに手を入れると、多田が払いのけようとした水色のビー玉が指先にコツン、と当たった。
「こんなものいらない」と多田は叫んでいた。せっかくこんなにも綺麗なのに、どうして捨て去ろうとしたのだろう?
一度払いのけようとしたものを無理に渡すのも気が引けた俺は、ビー玉をそのまま持っていた訳なんだけど。

「…綺麗なのにな……雨粒みたいで」

思わず感嘆の念が口から溢れ出してしまうくらいには、掌に転がるビー玉は美しかった。天色と空色の中間色をしたガラス玉は、まさしく空から舞い落ちる雨そのもののようだったのだ。

「どうしたもんかな……」

ガラス玉に映る景色は屈折し、歪んでいる。けれどもその歪みが美しく思えるくらいにビー玉越しの景色は幻想的だった。

―多田は、この美しさを瞳に宿したことがあるんだろうか?
ないんだとしたら、俺が綺麗な世界を多田に与えてやりたい。それで、心の底から笑みを浮かべてほしい。

「―あ、しーちゃん。もう来てたんだ 」

ポケットにビー玉をしまい込んでいると聞き慣れた千里の声が頭上から降ってきて、思わず俺の心臓は高鳴る。

「来てたんだ、じゃねえよ。待ち合わせ時間から三十分も過ぎてるんですけど」

「アハハ、ごめんごめん!体が休みの日サイクルになってて、寝坊しちゃった!」

「起きようと思ったんだけどね」と苦笑いを浮かべながら千里は続ける。

「…はあ、…いい加減慣れたわ。お前の遅刻癖にも」

俺は水を一口だけ飲むと、「はあ」ともう一度溜め息を吐いた。
ここ最近、口から零れるものと言えば溜め息ばかりで我ながら自分に嫌気が差してくる。

「しーちゃん、恋患い?」

いつの間にか正面に座った千里がペラペラとメニューを捲りながらそれとなく呟く。

「……は?」

まーた、恋患いだ。
村本にそう言われた時と同じ反応をしてしまった俺は、「溜め息を吐いただけで恋患いになるのかよ」と苦笑してしまう。

「ついに多田君に告白して玉砕したの?それとももうやっちゃった感じ?」

「…っ、千里てめえ…っ、…告白するわけねえだろうが!大体どうして俺が多田に恋してる前提なんだよ」

「だってそうじゃん。しーちゃんの様子が恋する乙女そのものなんだもん。で、どうなの?もしかして多田君のことをおいしく頂いちゃった?」       

何なの、こいつ。
千里とはもうだいぶ長い付き合いだけど、たまにこうやって普通じゃ聞けないようなことをしゃあしゃあと聞いてくる。
その度に俺は面食らって、どう返答したらいいのか分からない。



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