tears【涙】




「…はあっ、どこだよ……」

居ても立っても居られず走り出してきてしまったものの、この人混みの中で多田のことを見つけ出すのは確実に困難だ。

どうしちまったんだよ。いきなり走り出したりして…。
ほんのさっきまでは、普通の様子だったじゃねえか。何かに悩んでるとか、そういう雰囲気は全く感じられなかった。

「あいつ、どこにいったんだ…?」

もしかしたら学外に出てしまったのでは?とも考えたが、俺の勘が「多田は学内に残ったままだ」と啓示していた。

多田が行きそうな場所。閑散としていて、人の気配がなくて―。

―ああ、「百合」だ。

「…そうだ、百合だ…!」

頭の中に即座に浮かび上がった場所は、大学内で一番人気がなく静けさに包まれた空間だった。広大な敷地の中の隅っこに位置するその場所は、恐らくほとんどの生徒が熟知していないと思われる。

―絶対、そこにいる…!

そう確信した俺は、人混みを必死に潜り抜けて百合の空間へと走った。












案の定、その空間には人っ子一人存在していなかった。
建物と建物の間に挟まれた日の当たらない空間は、現実の世界と引き離されているかのような印象を与える。落ちた影の真下には冷たいコンクリートがあって、そのすぐ真横にはポツンと百合が悲しそうに咲いていた。

そしてたった一輪の儚げな百合は、秋風に吹かれて小さく揺れた。
背後にそびえ立つ立派な銀杏の木からはパサ、と紅葉が舞い落ちる音がして、俺の神経は思わずそちらに奪われる。
そして俺は、ヒラヒラ…、と静かに舞い降りてきた紅葉を優しく掴むとそっと掌に乗せた。

「……愛して」

囁き声に近いような小さな小さな声が耳に入ってきて、俺の意識ははっと覚醒した。

―この声は、多田のものだ…

夏合宿の時に耳にしたいつもとは違う多田の声。
今俺が耳にした声は、まさにその時の声質と同じものだった。苦悶に満ち溢れた切なげな意味合いを含んだ声色。

シュ、という靴の擦れる音が静寂に包まれた空間に木霊して、俺がここに存在することが明らかになる。
俺がいることがばれないように静かに近づいてもよかったけど、今の多田には俺の存在をちゃんと知らしめておいた方がいいと思った。

「…おい、多田」

多田は灰色の冷たいコンクリートの階段に、膝を丸めて座っていた。一見すると死角になっているそこは、さっと素通りしただけでは見つけることが困難だろう。
彼の前面に咲く一輪の百合がグラリと風に煽られた。

「……っ、…こないで、…来ないでください…っ」

胸がズキン、と痛んだ。
目を真っ赤にして涙をボロボロと流す多田の姿は、否応なしに夏合宿でのことを思い出させたからだ。

でも胸が苦しくなった要因はそれだけではなかった。
どこかに置き去りにしてきてしまった大切な感情を、人目につかない一人ぼっちの空間で必死に取り戻そうとしているように思えたから。自己存在の証明を、涙を流すことと同時に足掻き苦しんでいるように思えたから。

「一人で泣いてる奴を、放っておけって言うのか?…明らかに苦しそうにしてるのに、ほっとける訳ねえだろ…!」

思わず口から出たのは「来ないで」と言った多田に対しての怒りの念だった。

「…私のことなんて、気にかけないでください。…っ、だから早く、どこかに行ってください…お願いだから……優しくしないで、」



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