名前【who am I?】





過去を思い返してみると、勉強をすることは嫌いではなかった。

知らなかったことを一から知ることが出来るのも、自分の中に新しい知識が蓄積されていく独特の感覚も、嫌いではない…いいや、好きだった。

最初は、自分の意志で全てやっていたことだった。
本を読むことが好き。学ぶことが好き。だから、自ずとテストの成績も向上した。全く持って辛いなどといった感情は抱かなかったし、好きなことをしていたら結果が着いてきただけで、特に特別なことをしたという訳ではなかった。

けれど、母は異常なほどにそれを喜んだ。
元々内気だった私は、外で同年代の子達と遊ぶということがほとんどなくて、家の中で本を読んでばかりいた。

夢の中に出てくるクロとシロのイスは、自分が置かれていた状況を指し示していたものではないだろうか、と思う。対極した二つの色は、内気な自分と望んだ自分を表している。
私はクロのイスにしか座ることができなかった。そんな自分に激しい危惧感を抱きながらも、結局どうすることもできなかった。

そう。それは内気で周りに馴染むことのできない自分の存在が黒で塗りつぶされていくかのような感覚だった。
その感覚は、今でも顕著な感覚を伴って続いている。
世界には間違いなく透明なシロが存在しているのに、それはどんどんと私から離れていく。その代わりに暗澹たるクロが私の周りをぐちゃぐちゃと塗り固めていく。

自分が誰なのかが分からない。
どこにいるのかが分からない。
何をしたいのか、今何をしているのかさえ、はっきりと分からない。

頭が狂ってしまったんだろうか?私は病気なんだろうか?
掌に乗っているビー玉をぼんやりと見つめながら「…私は、」と微かな声で呟いた。

「…愛されたい」

心に浮かんだ欲望をそのまま口にする。
たった一言の言葉、欲望は幼少期から私の心の中に渦巻いて、自己を苦しめる。

母から愛されるには?
母に愛して貰うには?
愛を受け取るには?

その答えは簡単だ。頭が良くて、優しくて、皆に慕われる多田樹でいればいい。







初めてテストで悪い点数を取った時、母は言った。
―どうしてなの?お母さんのことが嫌いなの?、と。

違う。嫌いじゃない。大好きだ。…違う、違う違う違う。たまたま苦手な範囲だったんだ。だから頑張ることが出来なくて、良い点数を取ることが出来なかったんだ。

―樹ちゃんは、賢い子でしょ?なら頑張らないとね。こんな悪い点数を取ってくるなんて、お母さん、幻滅したわ。
―お母さん、ごめんなさい…っ、僕、頑張るから。次は絶対に良い点数を取るから。だから、だから…っ、僕のことを見捨てないで!
―…本当ね…?お母さん、樹ちゃんには本当に期待してるんだから、その期待を裏切らないでちょうだい。


…ふと、気が付いた。

母が愛しているのは私そのものではなく、賢い私だと。
母が私に対して優しかったのは、頭が良いと思ってくれていたからだ。
その事実を自覚すると、どうしようもない焦燥感が体中に駆け巡った。

もし、良い成績を取れなかったら?そしたら、どうなる?
…消える、と思った。
母から否定される。大好きな母に嫌われる。
「貴方はいらない子」だって言われる…?

いやだ、そんなの。怖い。
愛情が欲しい。愛されたい。
にこやかに微笑みながら「大好きよ」と言って欲しい。
何故自分がここまで愛情に執着するのか、その理由は分からない。
恐らくは自分に自信がないから。内気でつまらない私を「大好きよ」と言ってくれた母の言葉に固執しているからなのだろう。

愛され続ける為には、勉強をし続けなければならない。
勉強だけでは駄目だ。永遠の愛情を得るには、完璧を目指さなければ。皆から受容されて、求められる存在にならないといけない。



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