事実の日記、満月の宴

事実の日記、満月の宴 | ナノ






「―春乃くん…?」


可愛らしい女性の声だった。
声の主を確認しようと教室のドア付近に目をやると、鮮やかな赤色のコートを着た小柄な女性が佇んでいるのが見える。


「…あ、あの…桜川春乃くんですよね…?」


その女性と目が合った瞬間、自分が一体どこにいるのかが分からなくなった。
宙に放り出されて、今まで忙しなかった世界が動きをストップしてしまったかのように。


「…秋…」


顔かたちは明らかに女性なのに、秋の面影を持ち合わせた彼女は長い髪を指で掻き上げると困ったように微かに笑った。

キラキラと太陽の雫が舞う。
笑った時に浮かび上がるえくぼも、秋と全く同様だった。


「写真で見たのと全然違くて…最初は分からなかったんですけど…。秋にあまりにも見た目がそっくりだったから」


「…あなたは…?」


微かに口から発せられる言葉は、最早無意識に形作られていた。


「秋の姉の、町屋翠です。
春乃くん、私、あなたにずっと会いたかったんです。どうしても伝えたいことがあって…。だって、あなたは秋にとって大切な人だったから。
時間、大丈夫ですか?もし今が駄目ならまた後で伺います」


呆然と立ち尽くすことしか出来ない俺を見て、一縷は「行ってこい、こっちは何とかしておくから」と強い調子で言った。
そして、ポン、と優しく背中を押される。


「…大丈夫」


囁くように俺に向けられた言葉は、心に蔓延して静かに溶けた。

















「ごめんなさい、忙しいのに時間を取ってしまって」


学内の人気のないベンチに移動した俺達は、暫くの間無言だった。


何を話したらいいのか分からない。
顕著に表れた秋の面影が開きかけていた記憶の壁を破って、彼と過ごした日々を完璧に蘇らせる。



もう、見て見ぬ振りはできない。
はっきりと、強く、確信した。


「…単刀直入に聞きます。春乃くん、秋が命を絶ったのは自分のせいだって負い目を感じていませんか?一番の親友だったのに、何も気が付けなかった自分が悪いって。
私が写真で見たあなたは黒髪で、藍色の目をしていて、とても綺麗でした。秋が嬉しそうにあなたと撮った写真を見せてくれたんです。
けど、今の春乃くんは秋を、秋を真似ていますよね?」


冬の香りが混ざった風がびゅうと顔に吹き付ける。
肯定することしかできない俺は「…はい」とあまりにも小さな声で答えを返した。


「…秋が死んだのは春乃くんのせいじゃありません。私も気づくことが出来なかった…。あまりに不甲斐ない自分に呆れます。
秋は、あまり自分のことを話さなかったでしょう?他人の話をニコニコ聞いていても、自分のことは二の次で隅に追いやってしまう。それが、私の弟でした」




思い返してみれば。
秋は俺に話を振るばかりで、自分のことを話したことはほとんどなかった。


「俺のこれは自分を保つため、みたいな?
大勢の中に埋もれて自分が誰か分からなくなるのって恐ろしいじゃん。だからせめて俺は自分を誇示しておこうと思って」


出会ってすぐの頃何の気なしに「何でこんな格好をしてるのか」と尋ねたことがある。



ああ、そうだ…。
そう答える秋の顔はとても悲しそうだった。



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