白露の夜と本心 | ナノ
「あれー?今住之江の声しなかったか?」
「したよな?怒鳴ってたような気すんだけど」
「気のせいじゃね?いないし」
「おっかしなー…。どこにいったんだろ」
扉の目の前で展開される会話にヒヤヒヤしながらも、俺は掴まれたまま未だに離されていない自分の腕に神経を奪われていた。
「まあいいや、部屋戻ろうぜ」
「……だな」
人影が見当たらないことに諦めがついたのか、生徒達の声は徐々に小さくなっていった。
「はあ…。よかった」
安堵感からか俺は無意識にそう呟いていた。
「ったく…、危機感を持てよ。あのまま見つかってたらどうするつもりだったんだ」
「いや、まじで、ほんとビックリしちゃって。…だって俺一縷と、」
「あれは事故だろ。気にすんな。」
そっぽを向きながら恥ずかしそうにそう言う彼の頬は、多分見間違いじゃなく赤く染まっていた。
普段は絶対見せないようなその表情に、俺の心はドキンと高鳴る。
「ほんと、ごめん…」
脳裏に鮮明に蘇ったのはついさっき感じた彼の柔らかい頬の感触で、「駄目だ」と自分を律してもその記憶がぐるぐると頭の中を回る。
「…あの、さ、聞いてもいいか?桜川のこと」
少しばかりの沈黙の後、ベットに腰掛けながら一縷が遠慮がちに言った。
彼から俺に対して「知りたい」というアクションを起こされたのは初めてのことだった。そのことに戸惑いながらも、俺は心の底から嬉しい、と感じていた。
以前だったら絶対に「何も知られたくないし、話したくない」と思っていたはずなのに。
いつのまに俺は、変わったんだろうか。
「…いいよ。
今まで待っててくれてありがとね」
事実は何も変わらない。
俺は秋を好きになって、秋が何かに苦しんでいたことに気づくことができずに、最終的に、彼は死んだ。
何故秋が命を絶たなければいけなかったのか、その経緯も理由も俺は知らない。
彼は神様が俺に与えてくれた太陽の光だった。
でも、神は時に残虐で鋭利な一面を持っている。
幸せは、ずっと続くものではないのだ。
「何から聞いたらいいのか分かんねえんだけど…。桜川、さ、特待生なの?
盗み聞きする気はなかったんだけど、四月のカフェでばったり会ったあの日に、理事長室で話してんのが聞こえちゃったんだよな」
ああ、なんだ。やっぱり聞かれてたんじゃないか。
もしかして聞かれてた?と疑問に思ったりもしたけれど、なんだ、やっぱり。
「そうだよ。…俺は特待生枠でこの学園に入学したんだ…。成績を公表してないのは、頑張ってるって思われたくないから。
だってさ、チャラチャラした奴が首席だなんて笑えるでしょ?俺はね、頑張ってるところを人に悟られたくないんだ。
ヘラヘラしてるように見えて、でも実際は皆を引き連れる存在になりたかった。…秋みたいに」
「…秋?」
一縷が秋の名を呼ぶ。
なんだか不思議な感じがした。秋の存在を他人に話すことはとてつもなく勇気がいることだし、自分の感情を言葉にして的確に伝えることは難しい。
でも、今なら、話すことが出来るような気がする。
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