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*

名前を呼ぶたび。コルテス、と。そう、口に出すたび。その単語がどれだけ重くて、どれだけ大切で、どれだけ美しいのか、分かるようになってきた。
この世界で、自分にとってかけがえのない、たった一つの、彼の名前。
呼ぶたびに、コルテスという存在が、自分にとってどれだけ大きなものだったのか。どれだけ優しくて、どれだけ安心させてくれる存在だったのか、分かるようになってきた。
それこそ名前が、呼べなくなるくらい。

それでも。もうずっと、いい加減何よりも優先して、彼の傍にいるようになった、ある日。

担当医に呼び出され。

嫌な、予感がした。

小さな診察室で、耐えるようにぐっと拳を握りしめたイドルフリートに向かって。残酷で最悪な、かなしい宣告がされた。

「今日明日が、ヤマです」

あ、予感が当たってしまった。どこかで他人事のようにそう思いながら顔を上げると、とても辛そうに、けれどそれを隠す様に平静を保っている担当医の顔が目に映った。
どうしてこの人が、こんな顔をするのだろう。ぼんやりと思考しながら、説明をする担当医の口元を見つめる。

「最近になり、あちこちの機能が低下してきました。自発呼吸もそろそろ危ない。おそらく、脳が限界なのでしょう」
「・・・」
「正直、ここまで持ったことの方がおどろきです。このままだとたぶん、目覚めることなく・・・」
「・・・ありがとう、ございました」

自然と口をついて出たお礼は、決して嘘じゃなかった。最初こそあんなにも乱暴に、食いかかったものだけれど。
今までの、とてもとても献身的な治療を見ていたら、嗚呼、この人たちは、本当に心から、コルテスを救おうとしてくれていたんだとわかって。
もう最近では、本当に心からの感謝しか、できない状態だったから。

「彼の命を、ここまで、繋げてくれて。ありがとう、ございました」
「・・・まだ、できることはするつもりです。ただ、覚悟だけは持っていただきたくて・・・」
「分かっています」

あまりの穏やかさに、怒っていると勘違いされたのだろうか。訂正を求めてきた担当医の言葉を、静かに遮る。大丈夫、怒っているわけでは、無いから。
本当に、感謝しているんです。そういうと、担当医の顔が、一瞬だけくしゃりと、歪んだ。

その後、今後の治療方針などの説明を受け、病室に戻った。
「・・・こうして見ると、本当。ただ眠っているようにしか、見えないんだけどな」

何時ものように傍に腰かけ、そっと手を握る。いつもより若干手が重く感じるのは、先ほどの説明が効いているのだろうか。

「まったく・・・せっかくあんなに尽くしてくれる医師まにまであんな顔させて、君はただ眠っているだけかい?」

すやすやと眠る顔が、あまりにも穏やかすぎて、聞いたばかりの宣告が嘘に思えてくる。おかげでこちらも、穏やかな顔にしかならない。

「なぁ、コルテス?」

「目が覚めたら、何をしようか」

「テスト、たくさんたまってるぞ。小テストとか含めるとそうだな・・・うん、考えたくない量だな」
「ノートもたくさん取ったし、数学なんかすごく進みが早かったからな。君、ちゃんとついてこれるのかい?」
「王子とかもたぶんぎゃーぎゃーうるさいから、ちゃんと自分であしらいたまえよ。私は嫌だからな」
「心配してくれた奴らにも、お礼、言うんだぞ」

静かな病室にぽつりぽつりと響く、淡い未来予想。

「ああ、何より先に、君からのプレゼント。もらわないとな」

忘れてないからな。 そういって、掌の中の手を握りしめ。こつりと、額を合わせる。
ふと窓に目を向けると、丁度夜も深くなったころだった。

*

あれから。次の朝が来て、昼が来て。夕方になって、王子とメルヒェンが顔を出して。昨日担当医に言われたことを伝えて、泣きそうな顔をされて。
暗くなって、帰って行って。 また、夜が来て。

深夜に差し掛かった頃。コルテスの容体が、僅かに傾いた。呼吸が苦しそうになったコルテスに、酸素マスクが取り付けられた。
ガチャガチャと機械やら何やらがコルテスの周りを囲むのを、何もできずにただぼんやりと見つめる。

「覚悟は、しておいてください」
「何かありましたら、これを押してください」

枕元のナースコールの存在を示し、担当医と看護士が出て行く。部屋で二人きりにさせてくれたのは、向こう側の配慮だろうか。

「・・・こるてす」

心電図の音がうるさいのと、やたらと機械がのさばること以外は、元通りになった部屋で。前まで通り、コルテスの手を取る。

「コルテス、コルテス」

ただずっと、名前を呼ぶ。 ぜいぜいと、苦しそうな呼吸を見ていて、自分まで苦しくなるような錯覚に陥る。

「コルテス・・・こる、てす」

おかしいな、声がかすれる。なんでだろう。 そう思って、片手を喉に当てようと、コルテスの手から外しかけた、そのとき。

「―――!!!」

ぴくり。 力こそ、とてもか弱いけれど。今度は、しっかりと、握り返そうとしてくるのを、感じた。

「こ・・・コルテス・・!!!」

見ると、ずっと、ずっとずっと見たかった、褐色の瞳が、そこにはあって。 ぼんやりとしていて、どこを見ているのか。焦点が、合っていないけれど。
何かを探す様に、ゆらゆらとしている瞳に、半ば無理やり、自分の姿を映す。

「コルテス・・・っ目が覚めたんだな!!? 待っていろ、すぐ・・・っ」

身を乗り出して、ナースコールを思い切り押そうとしたとき。 空気が、かすれるような音。
慌ててコルテスの口元に意識を集中させる。

「・・・・ど、・・・」
「な、なんだ、コルテス? だいじょうぶ、ちゃんと、此処にいるよ。聴いて、いるよ・・っ?」
「・・い、ど・・・」

掠れてほとんど聴き取れないけれど。自分の名前を、呼んでくれていることが分かって。溢れそうになるものを一生懸命抑え込み、意識を集中させた。

集中させた、その耳に、届いた。

「い、ど・・・ありが、とう」

ずっと、ずっとずっと聴きたかった、彼の、言葉。

「あい、してる、よ・・・」


「・・・っ!!!」

君の愛を疑って、態度に疑問を持って、腹を立てて、だから君はこうなって、私は、なのに、どうして、そんな。
何も言えなくなって。でも何か言おうとした。言おうとして、口を開いたとき。

すうっと。軽く呼吸をして。すっと、吐き出した時。 同時にすっと、瞳を再び隠した時。
握りっぱなしだった手からも、力がするりと、抜け落ちたのがわかって。

「あ」

まって。待って、コルテス。言い逃げなんて、ずるいから。

「私、も。あり、がとう」

わたしだって、ずっと伝えたかったんだ。 最後くらい、しっかり伝えようと。嗚咽も涙ものみこんで、一生懸命伝える。
きっと、伝わって、いるから。

「おやすみ、コルテス。お疲れ、さま」

「私も、愛して、いるよ・・・エルナン・・・っ!」


ふっと。コルテスが、微笑んだ気がした。

「ありがとう、エルナン・・・・っ!」

最後の一言で、救われた気がした。
ありがとう、おやすみ。

愛してるよ。

*

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