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 「迷走と狂騒」※



*

ふと気がつくと、目の前には見慣れた天井、背中には触れ慣れた布団の感覚があった。自分がベッドに寝ているらしいことを、理解した瞬間飛び起きる。
部屋を見回すと、あれだけ散らかっていた残骸たちが、跡形もなく片付けられていて。もちろん自分がそうした覚えはないし、ほかの船員ならまず先に自分を起こして何があったかを問い詰めるだろうから、これも違う。だとすれば。

「……」

打撃を受けすぎて変色した皮膚には、丁寧に薬が塗ってあって。切れたところには包帯が巻いてあって。枕元を見れば、小さなさらに入ったスープが薄く湯気をたてていた。 その湯気が、ぶわりとぼやける。

「…っ!」

どうして、こんなことをするのだろう。酷くするなら、とことんそれを突き通してほしかった。優しくされたら、折れてしまう。

嗚咽を噛み殺しながら、こんな風になったのはいつからだったろう、そう思い出そうとした、けれど。

ほんの少し前にあったはずの記憶は、霞がかったように曖昧だった。

*

「イドさーん、起きてます?」

こんこん、戸を叩かれた音でびくりとからだが固まる。あ、だの、う、だの。そんな声しか出てこないがとうぜん、扉の向こうの仲間には聞こえるはずがない。このまま無視をしたくて仕方なかったけれど、それでまたコルテスに知れたらどうしようもない。
力を総動員して「ああ、」とだけ返すと、安心したような声が聞こえてきた。

「よかった。具合、大丈夫ですか?」
「えっ…と、だ、だいじょ、ぶ」
「そうですか、皆にも伝えておきます」

嬉しそうな「はやく良くなってくださいね」の言葉に、罪悪感で胸が抉れる気がした。皆あんなにも優しいと言うのに、自分はというとびくびくと怯えて避けるばかり。
いつまで彼らが優しくしてくれるだろう、そこまで考えた自分の最低さが嫌になって、イドルフリートは再度布団のなかにくるまった。


大好きなはずの仲間の顔を、怖いと感じるようになったのは、少し前のこと。
殴られ蹴られ、自分が吐いたり血を流すたび、浴びせられる暴言。それをずっと心に受け続け、気がついたらその言葉たちは自分のなかに深く根付いていて。

『汚い』
『気持ち悪い』
『変態』

仲間の前に出たとたんその言葉たちを思い出し、自分の姿を晒すのがとてつもなく最低で最悪なことのように思えて。気がついたら逃げ出していた。
それでも、最初の頃はまだよかった。変わらず心配してくれて、笑顔で接してくれる仲間たちを見ていて、安心したし此処にいて良いのだと思えた。

それに追撃が来たのはその直後。
気付いたら食事がまともに摂れなくなっており、皆と食事をしたとき、今日のようなことになった。しかもあのときはコルテスも同席していて。慌てふためく仲間たちが船医を呼びに走ったり、そのせいで更に人が増えて結局気を失ったりと、本当にひどかった。

それ以降、用がなければ極力自分の部屋に籠るようになり、仲間も呼びに来ることは少なくなった。いま見る人間の顔と言えば、航路などについて相談するときの仲間と、コルテスくらいだ。

「…あ、航路」

コルテスの名前が浮かんだところで、まだ今後の航路の調整などの相談をしにいっていなかったことを思い出す。いかなければ航海ができない。あちこち痛む体に鞭打って、イドルフリートはベッドから抜け出した。

*

「…どうした」

コルテスはちょうど、書類整理の真っ最中だった。ノックをして部屋に入ってきたイドルフリートを一瞥し、書類を机の上に投げる。

「明日の、予定を」
「そうか。説明してくれ」

座ればと促されたのを断り、説明をする。明日の天気やらなにやら。コルテスは、たまに質問をする以外静かに聞いていた。

「…以上だ。何かあるかい?」
「いや、よくわかった」
「そうか、では…」
「イド」

くるりと方向転換をしたせなかに、コルテスの声がかかる。瞬時に体が強ばり、なにか不味いことでもしたかと脳がフル回転を始める。顔を向けられないままになんだと聞き返すと、予想だにしなかった言葉が帰ってきた。

「スープ、飲んだのか」
「…え、あ、いや…」

意味がわからない。が、スープはたぶん今ごろ部屋のベッドサイドで冷たくなっている。がたりと椅子から立ち上がった音を聴いて、思わず歯を食いしばる。が。

「こっち向けよ」

肩を捕まれてぐるりと体を半回転させられ、ぽすり。なにかが胸に押し付けられた。見るとそれは、小さなワインボトル。よく見れば、切った果実がワインに沈んでいる。

「え、こ、これ…」
「おまえ、甘いもん好きだろ。何でもいいからとりあえず食え」
「っ…!」

ぶわりと。普段仲間の前で起こる気持ちとは別の感情のせいで顔がほてる。泣きそうになるのをこらえて、掠れた声でありがとうを伝えると、何故かコルテスは刺されたような顔をした。

「…おまえ、なんで俺なんかのことが好きなんだよ」

え。

「え?」

今、なんて。どうしてって、そんなの。

「っ!ぁ…ぐ、…ッ!!」

答えようと開いた口を、閉じろと言わんばかりに首を絞められ、答えの代わりに息が漏れる。
ぎりぎりと力一杯絞められ、ちかちかと点滅していた視界に闇が落ちた。

「…そういうおまえが、嫌なんだ…っ!」



目が覚めると、なんだか前回覚めたときと同じ状態で。ただひとつ違ったのは、ベッドサイドの上のものが、スープからワインボトルに変わっていたこと。
それを見たら唐突に、コルテスのあの辛そうな、絶望的な声が蘇ってきて、思わず頭を抱えた。

外では、元気なばか騒ぎをする声と、それを諫める、愛しい怒声が、響いていた。

*

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