7
*
どさり。
イドルフリートの視線の先で、先程まで己に銃を向けていた警官が、驚いた顔のまま、糸が切れたように倒れ伏す。
信じられないまま、そろりと反対側を見ると。
いたのは未だ僅かな硝煙を上げる銃をかたかたとふるわせる、血の気をなくした顔のコルテス。
「こ…コル…テス」
「あ…う、わ」
わなわなと震える唇がかすかに動く。「やっちまった」。
「っな、何して…!」
「い…イドがあぶないと思ったら、咄嗟、に」
「な…っ!」
「や、べえ、ど…しよう」
警察官が、殺人犯を守るために仲間の警察官を殺しました、なんて、洒落にもならない。このままじゃ、コルテスも、イドルフリートと同じ、殺人犯。
「な…っ何をしているんだ君は!?」
「しっ仕方ねーだろ!?イドが撃たれると思ったら、手が自然に動いてたんだ!」
「え」
動きが止まってしまったイドルフリートをよそに、コルテスが青い顔のまま考え込む。どうする、このあとどうする。
が。
「おい、なんだ今の銃声は!」
答えをだすよりはやく。
「「!!」」
何人もの警官がイドルフリートとコルテスを遠巻きに囲む。もともと事件のせいで見廻りの警官が増えていたうえに、銃声のせいで周辺どころか遠くにいた人員まで集められてしまったのだ。皆が一斉に、ナイフを持ったままのイドルフリートに銃を向ける。
「イドっ!」
「…」
あわててコルテスが周りを止めようとした瞬間。
からん。そんな音がして、イドルフリートがいたところにはナイフしか落ちていなくて。
「動くな。動けばこいつの命はない」
風のように動き、一瞬でコルテスの背後をとったイドルフリートが、コルテスの手から奪った銃を、こめかみに突きつける。
「なっ、そいつを離せ!」
「イド…!?」
「そいつは出来ない相談だな。いいか」
ちらり、地面に転がる死体を一瞥し。
「動けば、そこに転がっている『二人』同様、こいつも殺すぞ」
感情を込めず、淡々と。狂気を滲ませた声で告げる。
「お、い」
「喋るな」
首を抱き寄せている腕に力を込めることで、コルテスの口を封じる。
コルテスは、こんなところで自分が道連れにしていい存在じゃあないから。
放っておいたら、きっと自分で自分の首を絞めるに決まっているから。
そんなことは、させたくないから。
「すべて終わったら、いつもの席の机の下を見てくれ」
耳に口を寄せて、小さく伝える。
そして。
どん。
目の前の警官の群れのなかにコルテスを突飛ばし、拳銃を捨ててナイフに手を伸ばす。
その瞬間。
人質を手放したイドルフリートに、待ってましたとばかりに銃弾の雨が襲いかかる。
「 っイド!!」
ワンテンポ遅れたコルテスの叫びに対して、いつものような聞きなれた返事は、返ってはこなかった。
*
「きいた?あの殺人鬼、死んだんですってよ」
「あらぁ、本当に?」
「えぇ…なんでも、最後に警官人質にとったんだけど、突き飛ばして逃げようとして失敗して、撃たれたんですって」
「やだ、こわーい。警官を人質にとるなんてねぇ」
「ほんとよねぇ」
*
スペインの大通りに面した小さなカフェの、テラスの隅。ひとりぽつんと座っているコルテスの前にあるのは、封の切られていない、一通の手紙。
『すべて終わったら、いつもの席の机の下を見てくれ』
あのあと。事件の処理から何からすべて終わり。最後の言葉通りに言われた場所を見ると、手紙が貼り付けられていた。流れるようなきれいな筆跡で書かれた手紙は、イドルフリートからの、コルテス宛てになっている。
「…」
恐らく自分と最後にここで別れてから、こっそりと張り付けておいたのだろうそれを手に取り、意を決して封を切る。
「親愛なるコルテスへ…」
『この手紙を読んでいるということは…嗚呼、こんな始まりはありきたりでつまらないな、やめよう。』
「はは、つまらないって…何いってんだこいつ」
『ぐだぐだと意味のないことを綴るのは私の流儀に反するし、手紙は得意ではないから、さっさと本題に入ろう。』
「…」
『まず始めに謝らせてくれ。この間の夜のこと、本当に申し訳なかった。許してもらえるなんて思っていないから、安心してくれたまえ。』
「安心って…」
『何時からかは分からないが、私にはおかしな殺人衝動というやつがあってね。多分親を殺した時からだろうが・・・抑えるには、誰かを思い切り殺すしかないんだ。あのときはたまたま君が目の前にいて、私の衝動の方も押さえられない状態だったんだ。』
「…」
『でも、これだけは信じてほしい。わたしは、君を殺すつもりなんて無かったんだ。君だけは、絶対に、殺したく、なかったんだ。』
『こんなことは初めてだったよ。いつも人を殺すことだけが楽しみだった私が、それ以外のことでとても楽しいと思ったんだ。』
『君との会話は、本当に楽しかった。一緒にいて、あそこまで楽しくて安心する存在に出会えたことは、私にとって本当に幸運だったよ。』
『ありがとう。あのとき、恐怖をおしてまで、私に会いに来てくれて。本当に、本当に嬉しかった。正直予想もしていなかったよ。』
『君のおかげで、私も、少しは人間らしい、まともな感覚を味わえた…のかな?だから。』
『心から礼を言う。コルテス、ありがとう。私は、君にあえて、本当に幸せだった。』
『こんなことを言われたら嫌かもしれないが…
大好きだよ、コルテス。本当にありがとう。
どうか、その人生に幸あらんことを。
イドルフリート』
読みおわって、やけに視界がぼやけるなと思ったら、原因は自分の涙だった。
こんなに泣いたことなんて無いんじゃないか、そう驚くくらい、あとからあとから涙が溢れてくる。
なにが礼を言う、だ。最後にえらく格好つけやがって。
幸せだった?その言葉、そっくりそのまま返してやる。楽しかった?お互い様だ。
幸あらんことを?低能め。
「おまえがいないのに、幸せなんてどこにあるんだよ…っ!!」
自分だって、返したい言葉がたくさんあるのに。こんなやりかた、卑怯じゃないか。
最後にこれくらい言わせろ。
「俺だって、好きだ、ばかやろ…っ!!」
*
スペインで起きた、連続殺人事件の、これが結末。
人として欠けていた、人としての幸せを知った故に、殺すことのできなくなった、悲しい殺人鬼のお話。
▼